フィリピン覚え書き6。

マニラではひとつだけ観光名所に行った。イントラムロスという城壁に囲まれた街だ。16世紀の末にフィリピンを植民地としたスペインから来た人々が、中国人の海賊などから守るために建設した要塞で、要塞の中に彼らが暮らす街が築かれた。

現在は地元の人たちが多く住むようになっているが、近代化は最小限にとどめられ、数百年前からそこにある大聖堂や教会が残されている。まじめなトライシクルの兄ちゃんに案内してもらって、それらを見学していく。

16世紀、17世紀の時代にスペインからこの地に来ることは、現代の世界で言えばどんな極地に向かうことに匹敵するだろうか。そんな思いを抱いてマニラに根を下ろして生きていく彼らは、今の時代を生きる地球人よりもグローバルだったと言えるのかもしれない。そんな不安の多い生活を続けていく中で、信仰はなによりも大切にされてきたのではなかったのだろうかと、イントラムロスを歩いて感じた。

16世紀の末と言えば、日本でも九州を中心にカトリックを信仰する戦国大名が増えた頃だ。高山右近ら数名の武将は、日本国内で出されたバテレンキリシタン)追放令を受けてマニラ行きの船に乗り、イントラムロスの近くに小規模な日本人街を築いたという。マニラには高山右近の墓がある。カトリック関連以外にも、その頃呂宋(ルソン)助左衛門という大阪堺の商人がマニラに渡り、貿易商として豊臣秀吉にさまざまな珍品・宝物を献上したという。呂宋助左衛門はその後カンボジアに渡って貿易商を続けたというからなかなかにグローバルだ。

あとはマカティの街のなかでぶらぶらしたり、ホテル内でゆっくりしていた。マカティのなかでもハイグレードなショッピングモールであるグリーンベルトは、表参道ヒルズといい勝負しそうなほど清潔で、世界の一流ブランドがテナントに入っている。こじゃれたレストランが迷うほど揃っている(日本食レストランだけで10以上あるのではなかろうか)。このエリアだけで暮らせばシンガポールよりも快適に生活できそうだ。

★★★

そんなこんなで、フィリピンに8日間滞在して帰国。日本は12月も中旬に入る頃で、寒風が身にしみた。インドシナ半島の諸国から離れているし、残念ながらフィリピン=女遊びのような前時代的な発想をされがちで、今ひとつ行く機会のなかった国だけど、行ってみれば交通事情を除けばほとんどストレスがなくて、楽しく生きられそうな感触を得た。いつかフィリピンで暮らす日は来るのかしらん。