15年目のタイタニック。

非常にベタなのだが、週末『タイタニック』を見た。15年前、映画館で親と観て以来である。

ジャックとローズの恋の機敏や、衝突から沈没に至るまでのスペクタクルは今観ても心動かされるほど素晴らしいのだが、改めて観て気付いたのは、船室の等級を通して見える当時の階級社会の様子と、衝突後の登場人物の行動を通して突き付けられた、非常事態で自分はどうふるまうだろうか、という命題であった。

★★★

まず階級社会について。タイタニックの船内は3つの等級に分けられ、等級ごとにエリアも分けられている。この作品においては1等船室の顔ぶれによる上流社会がネガティブ寄りに描かれており、3等船室の顔ぶれは逆に快活に描かれているきらいはあるが、当時の欧米において階級による差別が根強く行われていたのは確かだろう。衝突後においても、3等船室の乗客がデッキ内に閉じ込められている描写がある。等級別の生存率においても、その差がはっきりと表れている。

乗り物における等級は現代の世の中にも残っているが、それは使えるサービスや設備の違いを示す以上のものではなくなっている。グリーン車やファーストクラスに乗っているからといって、自分は他の等級に乗っている人たちとは違う、という態度を示すような人はほとんど絶滅したはずだし、そのような態度を示すことは格好悪いという共通認識ができあがっている(心のなかで優越感に浸ることはままあるだろうが)。社会が変化したということだろう。

★★★

そして非常事態での自分のふるまいについて。登場人物のさまざまな行動が描かれるなかで、もし自分が乗客ならどうふるまうだろうか、と考える。非常事態といえばわれわれは先の大震災を経験したが、これはこれでまた違うケースである。

潔く沈みゆく船と運命を共にすることを選んだ船長や、船の設計者、楽団をはじめとする船員たち、また船に残って穏やかに死を待つことを選んだ乗客たち。彼らに対して、船会社の社長であるイズメイ氏は救命ボートに飛び乗った(海面に下ろされるボート上で見つからないように身をすくめているシーンが印象的である)。また、ローズの婚約者であったホックリーは、置き去りにした見ず知らずの子どもを抱き上げ、自分が唯一の身寄りであると嘘をついてボートに乗ることを許され、一命を取り留めている。

死を受け入れ、努めて穏やかであろうとする姿は高貴であるが、自分が果たしてどうふるまえるだろうか。人を押しのけ、醜態をさらしてまで生き残りたいと思うのか、わからない。しかしながら前述の2人については生き残ったものの、イズメイ氏は卑怯者と非難され失意の人生を送り、ホックリー氏は婚約者を失いその後の恐慌の影響を受け自殺した。もちろん彼らだけではなくいろんなケースがあるだろうし、いざとなればとっさの判断になってしまうのだが、とっさの判断の礎となるのは、普段の思考の積み重ねなのだと思う。