内と外。

この間、府中刑務所の内部を見学するツアーに参加してきた。このツアーは刑務所が主催する文化祭(といってももちろん主催するのは職員の方々)の一環として行われているのだが、ツアーは大人気。行列に1時間半ほど並んでようやく順番がまわってくる。ちなみにこの塀の外というのはかの有名な3億円事件の現場となった場所だ(正確には刑務所の北側塀沿い)。

20人ごとに隊列を組んで、大きな扉が開く塀の中に入っていく。ここからは完全に撮影禁止だ。中にはもう一つの塀と扉があり、職員の詰め所が設置されている。塀には一切掴まるような場所はなく、詰め所の屋根も飛び乗ることができないように傾斜がついており、脱走を防ぐための工夫がなされている。

内部は整然と建物が並んでいる。昼間作業を行う工場に加えて、食堂や浴場や講堂があり、学校につくりが似ている。以前のツアーは収容されている房の近くまで行くことができるものだったそうだが、今年のツアーは工場サイドの見学のみで終わった。その代わりに、工場や浴場などの内部に入ることができる。

個人的には、ソビエト連邦時代のコルホーズソフホーズというのはこのようなつくりだったのかな、という印象を持った。当然ゴミひとつ落ちておらず、完ぺきに整理整頓がされている。浴場では、浴槽に浸かる位置までもが印で付けられており、刑務所内の生活の全てが規律によって成り立っていることを感じさせられた。

中の様子に触れてみて、刑に服する場所というよりは、更正のための施設であり、再び罪を犯すことのないように生活の基本を叩き込む場所であると感じた。生活の全てが厳しく定められ、自由の少ない服役生活は確かに辛いものであるとは思う。しかしながら、この生活にいったん慣れてしまったり、塀の外に会いたい人が待っている、ということでなければ、塀の中の生活はそれはそれでやっていける人も多いのではないのだろうか、と思ったことも確かだ。塀の外に出ても、頼れる人もおらず、ホームレスとしてもしくはネットカフェやマクドナルドを転々として夜を明かすしかない生活しか選べないということであれば、多少の自由は制限されても、布団で眠ことができ、3食が食べられ、仕事が与えられる環境(これぞまさに社会主義経済)はまだまし、という人も多いはずだ。それが、再犯のハードルを下げてしまっている、という面もあることは否めない。

特に府中刑務所は、受刑者の2割が外国籍であり、高齢者の割合も増えてきているという。受刑者にとって刑務所がどういう場所であろうとするのか、考えるいいきっかけになった。