こしのくに。

北陸三県に出張。気持ち良い気候だが、きっちり日程を詰め込んだのでなかなか疲れた。今年は10月から11月にかけてもなかなか休まらない。

★★★

新潟から福井にかけて日本海側の各県の旧国名は、越後・越中・越前と軒並み「越」の文字が用いられている。間に挟まれた加賀と能登を含めて、その昔は「越」の国と呼ばれた。語源はよく定まっていないが、同じ「こし」の読みで、「高志」「古志」などと読まれたりもする。高志高校は福井県の名門高校であるし、2004年の新潟地震で大きな被害が出た山古志村も、この言葉に源を発する。富山市には「高志の国文学館」がある。

中国大陸から伝来した稲作がいち早く広まったのはこの「越」の国である。余談だがコシヒカリのネーミングもここから来ている。奈良時代の史料によれば、越前や越中は当時全国でも有数の米の生産量を記録している。あわせて日本海では海運も発達していた(太平洋側の航路は黒潮の流れにより外洋に流されていってしまう危険性が高く、江戸時代に入っても航路は発達しなかった)、越の国の沿岸部にはいくつかの港が生まれ、交易によって財を成す一族も現れた。中国大陸や朝鮮半島から渡来人が現れたのもこの辺りになる。

今でこそ太平洋ベルトなどと言われ、太平洋側が日本の中心であることは疑いないが、その昔日本の表街道は、はじめに稲作が広まった日本海側だっただと思う。奈良や京都に都が置かれた頃もまだ、日本海側の方が栄えていたように思う。そのうち瀬戸内海の航路が発達し、鎌倉に幕府が生まれ、江戸に幕府が生まれるなかで、徐々に太平洋側が力を付けてきたわけだ。

今でこそ北陸はややもすれば裏日本と呼ばれ、主役の座を譲ってはいるが、日本の原点ともいうべき落ち着いた雰囲気を今に伝えている。手入れの行き届いた水田、共働きが多く勤勉な県民性は、昔から受け継がれたDNAだろうか。

そして越の国は、古代のように再び大陸との結びつきを強めはじめている。中国のみならずロシアをも視野に収め、金沢港や新潟港はその存在感を強めている。大陸から見れば日本海は大きな内海のようなものだ。日本海側各地への海外からの観光客も増えている。北陸新幹線の金沢開通は、新しい人の流れを生み出すことになるだろう。

★★★

2日続けて穏やかな天気で、米も魚も美味しかった。そしてやっぱり人あたりが良い。次はいつ来ることができるだろうか。すっかり早くなった日暮れに太陽が恋しくなるように、滞在期間があっという間に過ぎ去ったことを感じる。