報い。

電通の人どうしの炎上案件を傍目から見ていると、「いまの世の中では当たり前、やむなしと考えられていたことが、数年後や十数年後にはそうでなくなっている(糾弾される対象になりうる)」ということなのだなあ、と思わされる。僕だって、いま無意識のうちに人を傷付けていることもあるに違いない。少なくとも20年近く前の高校生のときに、同級生の女の子に今の時代からすれば失礼極まりない言葉をぶつけたことがあって、それは今でも僕の心に引っかかり続けている。おそらく同じようなことで、僕自身はもう忘れてしまったこともあるのだろう。

そう思えば、セクハラ、パワハラなんて馬鹿のやることだ、なんて自分が言える立場ではないのだ。自分自身もまた潔白な身ではないのだから。自分自身が潔白な身でないのに、物知り顔で批判するのはなんとも滑稽なことだ。

たぶん僕も、かの男性と同じように自分のしたことの報いを受けるのだろう(もしかしたらもう受けたのかもしれないが)。真理はシンプルだ。