鼻血の話。

昔からよく鼻血を出す子どもだった。そもそも鼻をほじるのが好きだったので、鼻をいじりすぎて鼻血を出してしまうのだ。それに加えてお風呂でのぼせやすかったというのもあるのだと思う。本当によく鼻血を出していた。

鼻血を出すとティッシュを細長く丸めて鼻に差すのだが、血がティッシュに染まっていくのがなんだかもったいなく思えて、顔を上に上げて、鼻から血が出てこないようにしていた。そうなると血が喉の方に逆流していくのがわかるのだが、気持ち悪さはあまり感じなくて、喉を通っていく温度を保った血の感触が、生きていることの実感を思い起こさせた。

そうこうしているうちに血が固まってくる。鼻血が完全に止まると、ティッシュを取って鼻のなかの状態を確認してみる(そんなことをしているからまた鼻血が出るのだが)。鼻から固まった血が、フリーズドライの苺のようにパラパラと出てくる。さっきまで温かさを持っていた血が大きく姿を変えている。

チョコレートを食べて鼻血を出すこともあったし、恥ずかしながら綺麗なお姉さんを見て鼻血を出すこともあった。高校生の時に教育実習でやってきた女性の先生の前で鼻血を出してしまったのは偶然だったのだろうか。

★★★

と、長い前置きだったが、鼻血と言えば『美味しんぼ福島の真実編』が物議をかもした。表現の自由はもちろん確保されるはずなのだが、果たして作者の意図は何だったのだろうか。問題提起と言うのならば、福島の真実編が完結したいま、議論の場に出てきたり、取材を受けるべきなのではなかろうか。言いっぱなし、描きっぱなしではおおよそ問題提起したとは言えない。ただでさえ現時点では、週刊の冊子をストックしておくことでしかストーリーを追うことはできないのだ。このままでは、作者と出版社は売上げを伸ばしたいがために、問題を煽るだけ煽って逃げたと言われてもしょうがないと思う。それで傷付けられたのは福島の人たちだろうし、さらに言えばマンガという表現方法自体の価値を損なうことにもつながってはいないだろうか。マンガの持つ力を信じていたからこそ、作者はマンガを通じて問題提起しようとしたのではなかったのだろうか。それを中途で投げ出すのは、長年人気マンガを描いてきた作者自身が許せないことではないのだろうか。これまでのところ、このマンガを通して議論が深まったようには全く思えない。

いったん出た血が、いびつな形で冷えて固まろうとしている。なんとももったいないことだと思う。