ことの真偽。

きのう、ことの真偽はわからないが、会見での小保方さんのふるまいは心に響くものがあったという趣旨のことを書いたが、問題の本質であることの、STAP現象の真偽については、これはもう限りなくクロであると僕は思っている。

会見の内容は、論文の不備はミスによるものであり、実験自体は200回以上行われ、他の研究者による実験成功も確認されている、であるから論文を撤回することは考えていない、研究を前に進めたいということであった。

ただこの説明は苦しい。たとえ実験が成功していたとしても、論文に使用した画像に誤りがあれば、その論文に価値がないことはへなちょこ学士論文を書いて卒業した僕にでもわかることだ。論文に未だ有効性があるということであれば、速やかに正しい画像を示すべきで、それを行わないのに論文の取り下げを行わないのは不誠実極まりない。また他の研究者によって実験が成功裏に終わっているということであれば、適切なタイミングでそれは公開されてしかるべきだ。潔くそうした決断を行わない何らかの理由があるのだろうか。

さらに彼女には既に博士論文での剽窃という前科がある。あのコピペだらけの博士論文が存在してなお、性善説で考える必要はあるだろうか。博士号が剥奪されることはないだろう(これは本人の問題というよりもそのような体裁の論文に対して博士号を出した大学院の問題だ)が、博士論文という軛を引きずったうえで今の研究を続けるのは得策ではない。今回の論文も、結論があいまいなままに取り下げられず温存されるということになれば、理研のみならず日本の科学分野そのものの正統性が疑われることになるわけで、それは回避されなければならないのではないかと思う。

そんな状況のなかで小保方さんは泥沼の勝負に持っていきSTAP現象の存在を証明しようというのだが、これ以上この問題について深追いすることは、彼女自身にこれからも相当の負荷がかかり続けるわけで、あまり賛同できない。ただ、気持ちの整理も含めてこのステップを踏むことが必要なのだろう。そうならば、気が済むまでやればいいのだと思う。STAP現象が再現できなければ、それもまた科学という世界のひとつの足跡となるはずだ。そして、もしSTAP現象が証明されるとしたら、、どうなるのかもはや想像がつかない。