箱根駅伝というお化けコンテンツ②

(前回の続き)
そのように一大コンテンツとなった箱根駅伝ではあるが、一方で大学の長距離部門が箱根駅伝至上主義になりがちであることが批判されることもある。確かに世界トップレベルを目指す選手にとって、箱根駅伝に向けて20キロ前後の距離でタイムを出すために最適化された練習を積むことにはデメリットもあろう。トップレベルの選手にはあえて箱根駅伝を目指さないという選択や、高校卒業後すぐに実業団チームに進むという選択もあって然るべきだとは思うし、現にそうした選択をする選手も現れ始めている。

しかしながら、箱根駅伝に出場する数百人の選手のなかには、大学卒業をもって第一線を退き、普通の社会人として働き始めることを選ぶ大学生も少なくない(実際に箱根駅伝の実況でも、そうした側面情報が語られることも多い)。実業団チームで走り続ける選手も、ほとんどが10年以内に引退を余儀なくされ、陸上を生業としていく選手はほとんどいない。そんな彼らにとって、箱根駅伝は陸上人生でも一二を争うビッグイベントであることは間違いない。先に挙げた『今昔物語』で後年になって採り上げられているところを見ても、箱根駅伝を走った選手はみなその経験を誇りとして持って、それからの人生を歩んでいることがよくわかる。

さらに、これだけビッグコンテンツ化した箱根駅伝を利用することには、大学側にもメリットが大きい。箱根駅伝での成績が、大学としての総合的な勢いに影響を与えるような存在となっている。新興の大学が箱根駅伝出場によって知名度を上げ、好成績を残すことによってブランド力を高める、というストーリーすらあり得る状態となっているのである。

そして最後に改めて確認しておきたいのが、
箱根駅伝のレベルは年々上がってきているが、それでも世界のトップレベルとは差があり、にもかかわらずその注目度はダントツに高い、という事実である。単に競技としてのレベルが高いことだけが、見る側を惹きつける要素ではなく、その見せ方、コンテンツとしての育て方によって、これだけ多くの人を夢中にさせるのである。そしてこのストーリーを作り上げたのはファンもさることながら、近年右肩上がりの状態とは言い難い読売新聞社グループということである。メディアにはまだまだ社会にムーヴメントを起こす力がある、ということがよくわかる。そして、潜在能力を持ちながら埋もれてしまっているコンテンツがたくさんあるはずだ、ということも言える。これは、スポーツに限ったことではないのだと思う。