メディアと老害について。

老害」という言葉はどうかと思う。そもそも「老」=「害」と結びつけること自体がステレオタイプな考えで、一種の老害のようなものなのではないかと思う。老害と呼ばれることそのものは、「自身の経験や思い込みによる(結果的に)誤った判断を他者に強いることによって生じた損害」であり、老いていることとは直接関係はない。しいて言えば、年長であることを理由に年少者に誤った判断による行動を強いる、というケース(1番多いのは親子関係だろうか)が多いのだとは思うが、これは年長者に限ったわけではないだろう。こういった事象に対しては、老害ではない別の言葉を使うべきだと思うのだが、今のところふさわしい言葉が見つからないので便宜的に老害という言葉を使わせていただく。年長者の皆様には本当に申し訳ない。

最近の老害は、自身の経験や長年の慣習のみならず、メディアからも作り出されているように思う。1番危惧しているのは日中関係についてだ。中国では以前から南京大虐殺をはじめとして反日教育として、事実とは異なることが教えこまれ、メディアでも反日を煽るドラマや報道がなされてきた。それと同じような事態が、今の日本でも始まりつつあるように思う。週刊誌は日中開戦のシミュレーション記事を載せるようになり、日本は実は凄い、中韓は実態はガタガタであるというような記事も見られるようになった。実際そういう記事を書けば売れるのであろう。

しかしながら、こういったメディアの報道が戦意を高揚させ、大戦に突入していったという経験を、日本はわずか70〜80年前に経験している。出版新聞業界にとって1930年代は空前の好業績を上げた時期であった。先の大戦において、メディアの責任は重いし、それに国民は乗せられてしまった、という事実も重く残る。今回も同じようなことが起こるとは信じたくはないが、メディアがこうして書き立てることに、のせられ始めている人がいるのではないか、という危惧は考えすぎだろうか。

これもまたひとつの老害なのだろうと思う。思い込みによって誤った判断をしてしまい、結果的に損害を与える、そんな図式が見えてこないだろうか。もちろん法整備や憲法の見直し、然るべき戦力の整備などは必要で、無用に相手を利するような動きをするべきではないと思う。しかし、メディアとの距離の置き方を考え直して、自分は本当にどうありたいと考えるべきで、これは何もメディアに限ったことではなく、長年の慣習や経験や単なる思い込みから抜け出してものごとを考えること、これこそが老害を防ぐ第一歩なのだと思う。