あの法案と野党の存在意義について。

特定秘密保護法案が可決となった。この数日はメディアの報道も加熱していただけに、可決は間違いないとしても最後の落とし所はどうやるのかな、というところには興味を持っていたが、案外すんなりと可決した。引き延ばしたとしても泥沼化するだけなので、これは(法を通すため、という意味では)賢明な判断だったのだと言えるだろう。

著名人の反対声明やデモなどの運動もクローズアップされた。とは言ってもデモは東京でも数千人、地方では数十人のケースが大半で、年齢層も相当高かったように聞く。賛成だからと言ってデモをしたような人はいないし、いわゆるサイレントマジョリティと言われる人たちがどう考えているかはわからない。

政治の暴走、と言われるが、だからこそ民主主義には選挙という手段がある。選挙を通じて民意を反映させることができる。4年前に民主党が政権を獲得した以降の失望は、昨年末の衆院選によって民意に反映され、政権交代が起こった。今回の法案に不満があるのならば、次回以降の選挙においてまた政権交代を実現させて、法案を廃止させればよい。

しかしながら、この国ではそうした政権交代が今まであまり起こらなかった。戦後60数年の大半は、俗に言う55年体制によって、自民党が安定的に政権運営を進めてきた。そのなかにはいろいろと弊害もあったのかもしれないが、おりしも訪れた高度経済成長の追い風にも乗り、総体的にはメリットを受けた人が多かったのだろう。だからこそ、政権交代はほとんど起こらなかったのだ。

先ほど使ったメリットという言葉についてより具体的に言えば、カネと便宜によって決着を付ける政治ということだ。長く続いた55年体制によって、有権者が政治にそういうことを求める癖も染みついてしまった。民主党が政権を取った途端に自民党のようなことをやり始めたのもそういうことだ。そういう政治をやらなければ有権者から見放されるからである。そしてそうした政治を現時点で上手くやれるのは残念ながら自民党以外に存在しない。あれほど勢いがあったように見えた民主党ですら有権者はあっさりそっぽを向かされたのだから、反対!や聞こえのいいスローガンだけしか唱えられない政党や政治家が政権を取ったところで一瞬で潰れるのは目に見えている。

ただ、反対!しか述べられない政党や政治家に存在価値はないかと言われるとそうでもない。今回のように法案が可決されても、粘り強く叫び続けることで、法案の運用を監視しているぞ、というメッセージを送ることができる。例えば共産党の存在価値はまさにそこにある。

本当は自民党レベルのしっかりした政党が生まれればいいのだが。民主党がここでじっくり力をつけられるだろうか。それとも野党再編があるだろうか。そのあたりが来年の注目だと思う。