『萌の朱雀』

好きな映画監督はと聞かれると、河瀬直美と答える。代表作を数年以上見ていなかったように思えて、この週末に久しぶりに見なおしてみた。

★★★

オープニングの木々のざわめくシーンが、この作品の方向性を明示している。本編は一貫して淡々と描かれており、そこに時折BGMが交じる。場面ごとのBGMの重ね方や、市井の人々の営みがフラッシュのように映し出されていくさまは、フランス映画に似ている。『アメリ』などはもしかするとこの作品に影響を受けたのかもしれない。

セリフそのものが少なく、ストーリーも読みにくい。ただ、監督もそこに主眼を置いているわけではないように思う。むしろ、登場人物の表情と情景からなにかを伝えようとしている。そして見るものは、それだけでも豊かに伝わってくるものがあるということに気づかされる。

あくまで淡々とシーンが重ねられていくが、登場人物それぞれの心は相当動いている。心の動きというのは常々そのまま言葉にするものではなくて、誰にも見られていない時の顔の動きや、何気ないあいさつや、握手やおじきや手を振るといったありふれた仕草にこそ込められているものだということがよくわかる。抑えこもうとしていても溢れ出してくる感情が、あくまでも控え目に、ごくまれに激しくふるまいに現れるところに、言いようのない切なさを感じる。

そしてそれが大自然にも重ね合わされている。差し込む朝の光と沸き立つ釜、戸を開け放ってまだ明るいうちに家族で迎える夕餉、その向こうに幾重にも広がる山並み、川に整然とかかる吊り橋、雲の浮かんだ青空、これらの情景がなんとも美しく、かつ、誤解を承知で言えば色気すら感じさせる(対象そのものがいやらしいものでは全くないにもかかわらずである)。しかしながら、この大自然も穏やかに見えて、時には荒れ狂うこともあるのだということを、既に今の時代に生きる人間はよくよく思い知らされている。奇しくも、いくつかある雨のシーンは、さもそこにいる登場人物の心の動きを表しているかのようである。

★★★

最後にこの作品の舞台にも触れたい。旧西吉野村、今の五條市賀名生というところである。作品で映し出されている通り、奈良県南部は山また山の地であり、人間が自然に包まれて生きているという表現がぴったりくる場所である。この地に限らず、関西の山間部に暮らす人たちには独特の人間らしさが備わっていることを、出張や旅行で訪れるたびに僕は感じる。人間性を回復させる、何度でも訪れたい場所である。