結婚に「好きであること」は必ずしも必要でない。

結婚したいという話を立て続けに聞いたのだけど、気の利いた返答ができない。なので、ちょっと考えたことを書き残しておきたい。

★★★

結婚は好きになること、の延長線上にあるものではないのだと思う。言い換えれば、結生活に「好き」という感情はそれほど必要ない。たぶん昔からそうだったはずだ。

「好き」という感情をずっと持ち続けられる夫婦は凄いと思う。お互いの相当の努力と緊張感が必要だ。ただ、その感情を何とか維持しようと頑張り過ぎることが、恋愛から結婚へのハードルを高くし過ぎていたり、結婚生活を営んでいくうえでマイナスに働いていることもあるのではなかろうか、と思っている。

うまくいっているカップルや夫婦を見て思うのは、「『2人で』幸せになろうという共通の意思を持っている」、ということだ。それは「好きどうし」であることとは似て非なる要素である。要素を構成するのは、相手に対する気遣いなのだが、それも大層なものではなくて、一緒に買い物に行ったり、あいさつをしたり、たまに甘いモノを買って帰ったり、その程度のことだ。たまに旅行に行ったり、記念日になにかしてあげる、ということもその延長線上にあるだろうが、それはあくまで2人の共通意思によるものであり、一方が一方に求め出すと、その幸せは崩壊するように思う。加えて、外からの印象ばかりを気にしてしまうようになればなるほど、共通意思から離れていくのだと思う。だから、『2人で』と二重かぎかっこを掛けて書いている。

前述の要素があれば、恋愛感情がなくても夫婦生活は成り立つと思うし、けしてそれは味気ないものということもないのだと思う。その要素に容姿や収入の多寡や家柄が全く関係ないということはないだろうが、それはある程度までは当事者どうしの気遣いによって代替可能であるし、逆に容姿や収入の多寡や家柄だけで成り立つということはない。

今の社会は恋愛と結婚を結びつけがちであるし、なおかつ婚活などというものが生まれて、普通に出会って、普通に付き合って、普通に結婚することがいかにもハードルの高いことのように思われている。その一方で、facebookには結婚生活や子どもと戯れる投稿が溢れているし、結婚を煽るようなリスティング広告がこれでもかとぶつけられる。しかしながら、もっと簡単に結婚してしまっていいと思うし、幸せな結婚はほんの少しの努力だけで保つことができるものだと思う。だから、うまくいかないことがあったとしても根気よくチャレンジして、幸せを呼び込んでほしいな、と彼ら彼女らに対して願っている。