王座戦、閉幕。

いいものを見た時には、胸が詰まる。

それはスタジアムで見る綺麗な放物線を描く打球のゆくえだったり、澄み切った空気の向こう側にある雪をかぶった山肌だったり、皿の上に小さく盛られた珠玉のごちそうだったり、する。

昨日見た「いいもの」の話をしたい。

王座戦第5局、円熟の羽生王座に若手トップと言っていい中村太地六段が挑んだこのシリーズは最終局を迎えていた。ここまで2勝2敗。勝った方が王座のタイトルを獲得する。この1局はそれだけでなく、羽生善治という絶対王者に若手世代が初めてくさびを打ち込むことができるか、といった将棋界の大きな命運が託されていた。第4局までの内容はがっぷり四つ。昨年棋聖戦で羽生に挑戦し、1勝もできずに敗れ去った中村の姿はどこにもなく、王者と対等に渡りあっている中村の姿がそこにあった。第4局までで既に、この戦いは将棋界の歴史に残る名シリーズとなるであろうと言われるほどの内容であった。

羽生は、この戦いを心から楽しんでいるように見えた。相手が強ければ強いほど力を発揮するのが羽生の将棋だ。つい2週間前に行われた第4局から昨日の第5局までに、いずれもがトップレベルの棋士との他棋戦での対局が4局組まれていたが、羽生はその全てに勝った。まるで中村との対戦によって羽生も進化したかのように僕には見えた。ある棋士は、本当に羽生は人間なのか、もはや神様に近い存在ではないのかと思うことすらある、と言った。

そして迎えた第5局、羽生はこれまでのきわどい戦いが嘘のように、序盤から戦いを支配した。中村にチャンスらしいチャンスを与えず、羽生の王さまの周りにはついぞ最後まで手がつくことはなかった。圧倒的な勝利であった。

そして最後に中村六段が頭を下げて負けましたと告げた投了図が以下のリンクにある。
http://kifulog.shogi.or.jp/ouza/2013/10/post-abea.html

なんと美しい投了図かと震えた。この美しさ、素晴らしさを将棋がわからない人にもどうにか理解してもらえないだろうか、と思った。残念ながら僕の表現力ではいかんともし難いのだが、将棋という日本の文化が持つ魅力がこの投了図には凝縮されている、と思った。

この大一番で勝つ、のみならずこれだけ美しい棋譜を残す羽生は神様なんじゃないかと思った。中村もこの一年で大きく成長したが、その成長に刺激されて、羽生はこれまでよりもさらに、とてつもないレベルに足を踏み込んでいるのではないか、と思った。その帰結が、最終局の圧倒的な勝利となり、世にも美しい投了図を生み出したのだと。

なんとも興奮が止まらない。