地下鉄(メトロ)に乗って。

恵比寿から広尾のあたりを歩いた。陽の出ている間はジャケットを着ているとまだ暑く感じるが、太陽の光が届かなくなれば急に空気は冷え込み、街には落ち着いた陰りが浮かぶ。商店街では女子大生がDJを務めるコミュニティラジオが流れ、甘い空気が流れている。

中野で時間が空いたので、北口界隈の路地をぶらつく。車が入れない路地が重なりあって、平屋の店が建ち並び、ひとつの生態系のような街ができあがっている。やってくる人を包み込み、空腹を満たし疲れや悩みを取り去るさまはまるで臓器のひとつのようだ。

大手町はどうも苦手だ。全てが大きなビルに飲み込まれていて、逃げ場や周縁がない。地下の街もそれなりに発達しているが、どこか座り心地が悪い。それは心のどこかで拒否感があるからで、いざ飲み込まれてしまえばそれはそれで心地いいものだとも思うが。

九段下まで来ると少しほっとする。空が広く、千鳥ケ淵の佇まいが目に優しい。九段下や神保町から、御茶ノ水方面に歩くのも楽しい。雑然とした店がさまざまに生き残っているということは、それを好む人たちが集まっているということだ。

新宿はどこも人で溢れていて、気を抜いていると自分がどんどんちっぽけな存在に思えてくる。だからといって自分の存在を際立たせようと虚勢を張ったり無理をしてみるのもまた滑稽に感じる。でもそんな街のなかにも、自分らしくいられる隠れ家のような場所がきっとあるはずだとも思っている。

池袋は難しい。僕はまだ池袋のことをほんの少ししか知らない。ちゃんと分かることができる日が来るとも思えない。僕にとって池袋に行くということは、旅行に行くようなものだ。毎回新しいものに気付くことができる。見たいものも見たくないものも全部含めて。

日本橋には、リニューアルされた伝統と朽ち果てていくであろう古さが同居している。前者はなんだか落ち着かない。後者はとっつきにくそうに見えても、潜り込むと暖かい。そしてちょっと外れになるとごみごみしてくる。そこには商いがあり、生活がにじみ出ている。

六本木から西麻布の交差点まで、ゆっくりと坂を下っていく。ここを通り過ぎてきたいろんな人の念が押し寄せてくる。もう戻れない一線を越えて、前に進むしかない人生の切なさも感じる。歩いていくうちに、どんどん冷気が身体に忍びこんできて、ジャケットを羽織る。

明日も明後日も、一個の赤血球のように、張り巡らされた血管を動き回る。そしてなにを運んでいるのか。