哺乳類。

LGBTである場合を除いて、少なくとも、おっぱいが嫌いな男性に会ったことがない。人によって、大きいのが嫌いだとか小さいのが嫌だとか好みはあるだろうが、そもそもおっぱい自体が嫌いな男性はこの世にいるのだろうか。ある特定のものに執着心を持つという意味でフェチという言葉がある(ex.脚フェチ)が、おっぱいフェチという言葉はおっぱい自体が好きという意味では使われておらず、◯◯なおっぱいが好き、という意味で使われているわけで、それほどまでにおっぱいが好き、という事象はあまねく普遍的な概念であるように思う。

雌のおっぱいを雄が生涯を通じて好む、というのはヒトだけなのだという。そして、妊娠期間のみならず常におっぱいが膨らんでいるのもヒトだけらしい。どうして神様は哺乳類のなかでもヒトだけにこのような体質と嗜好を与えたのか。

基本的に、男性が女性(完全に子どもである場合と、かなりお年を召した場合を除く)を真正面から見ている時は、おっぱいを見ているか、それ以外を見ているかの2択しかない。中学生であっても、おばちゃんであっても、好むと好まざるにかかわらず無意識にそうなってしまう。この習性自体小学校入学前あたりから今に至るまで全く変わっていない。もっと歳を取ればどうなるのかは分からないが、多分あまり変わらないような気がする。

むしろ無意識にいると見てしまい、怪しまれたり嫌がられたりするので、意識して見ないようにしているのが世の男性の常だと思う。意識して視線を胸元から外している。外しているフリをしながら周辺視野で胸元を見ているツワモノもいる。本当ならば触りたいのだけれども、それをやってしまうといろいろなことがおしまいになってしまうのでとりあえず見ている。

こんなことを言うと「変態」とか「痴漢」などと言われかねない。そりゃあ公衆の面前であれば、わきまえのない行動になるのだが、おっぱいが好きだということ自体は全くもって「変」なことではないし、「痴(おろかな)」ことでもない。男がおっぱい好きになるのは性のめざめが起こるもっと前からのことであり、DNAレベルで埋め込まれている本能である。産まれ落ちてしばらくは、おっぱいを通じてヒトはお母さんとの絆を育み、大人になれば恋人と向かい合って雄は雌から愛を引き出す。その本能を発揮するために雄はおっぱいを求めて彷徨う。