下りていく人生。

筋肉痛がひどくて分速40メートルくらいでしか歩けなかった月曜日。明くる火曜日は階段がきつい。水曜日になればおさまっているだろうか。

溜池山王駅の長い階段をいびつなステップで下り、新橋駅でこれまた地中深くに潜って、いつもに比べるとガランとした横須賀線で武蔵小杉に向かう。ホームから改札に下るエスカレーターで、ふと上を見上げると、電光掲示板に久里浜と大船の文字が点滅する。そして改札を抜けて駅前のロータリーに出ると、南の空、雲の切れ目にびっくりするほど大きく、黄色く光るスーパームーンが浮かんでいる。

★★★

友人に、「転職とか、これから自分のやりたいこととかあるの?」と聞かれて、深く考えることもなく、「自分がなにかをやりたい、というのはあまりなくて、家族としてどういう方向に進みたいか、っていう気持ちの方が強いかなぁ」と返答していた。思い返してみて、自分もそんな考えをするようになったのだなぁとしみじみ思った。

もともと、自分にはこれをやりたい!という明確なものもあまりなかった。やりたい仕事も大してなかったし、ただ目の前にあるやるべきことに取り組むなかで、自分の色を出していければいいなということしか考えていなかった。

それが家族ができて、人生が自分ひとりのものでなくなって初めて、家族と一緒にどんなことをやれたらいいだろうか、と考えてみるようになった。ふにゃふにゃしていたところに一本串が刺さったような感覚だ。といっても、まだほとんど具体的なものはないし、自分のやりたいことと家族としてやりたいことを混同させているような気もする。自分の妄想に勝手に家族を巻き込んでいやしないだろうか、などと思ったりもする。

そんなことを漠然と考えてはいたけれども、先のような返答が自然と口から出てきたのは
自分でも意外だった。口から言葉が出て、自分の本心もそこにあるのかな、と改めて気付くことができた。

★★★

初めて死ぬことを意識して、夜空が怖くなったのは、9歳になるかならないかの頃だったろうか、とてつもなく怖くなって、お月様に何もかも見透かされているかのような感覚を覚えた。18歳、つくばの夜に浮かぶ月を見上げて、あと何度ここで満月を見るまでここに居るのだろうかと思った。そして30歳、ぼんやりと月を眺めて何を思うだろうか。思えば遠くへ来たもんだ。

そろそろ、下りていく場所を探していきたいと思っている。下りていく、とはけしてネガティブな意味ではなくて、しっかりと根を張るための、ポジティブなふるまいだと思っている。