古き良き?国民栄誉賞。

国民栄誉賞の授賞式を見た。

小学生の時に星稜高校松井秀喜の5打席敬遠を目撃し、阪神タイガースへの入団を心待ちにし、それからも僕が20歳になるまでの10年間をジャイアンツの主力打者として過ごした彼は、アンチ巨人の僕でも身近に感じるヒーローである。そして同時期に長期間ジャイアンツの監督を務めた長嶋茂雄も、リアルタイムでの選手としての活躍は知らないまでも、野球界の華やかなスターとしてのイメージを持っている。記録よりも記憶に残る、もっと言えばたたずまいそのものが見る人を魅きつける野球人である。

国民栄誉賞を授賞する価値のある人物であることに異論はない。しかしながら、その授賞風景には違和感を覚えざるを得ないものであった。

まず、なんといっても長嶋茂雄の姿である。病に倒れて以来必死のリハビリを重ねており、始球式でのスイングは見事なものだった。相当の努力を重ねたのだと思う。しかしながら、テレビ中継に出演していた息子の長嶋一茂は、始球式が終わるまでの間ぐっと拳を握りしめていたという。見ているこちら側も、なにかハプニングが起こりはしないかとドキドキしていたくらいだから、家族が強いられた緊張はいかばかりだろうか。不自由な右手をポケットに突っ込みながらグラウンドに立ち続けること、始球式での片手のスイングに一番申し訳なさを感じていたのは本人だろうし、そこまでしてセレモニーとして仕立て上げなければならなかったのだろうか、という疑問が残った。

そして、安倍首相の挨拶。アンチ巨人であったことを正直に述べたのはご愛嬌としても、「みんなが夢に向かって頑張ることが四本目の矢になる」というコメントはやり過ぎだったのでは。2人を政治利用していると言われても仕方ない。そもそも国民栄誉賞の授賞を決定したタイミングも、2人同時授賞として松井秀喜に断わる口実を与えなかったところも、はっきり言うとあざとい。裏でどんな力学が働いていたのか、これ以上詮索して書くつもりもないが、特に松井秀喜の内心はどのようなものであったのか、けして口を割ることはないだろうが、慮るべきものがあると思う。

国民栄誉賞をもろたら恐れ多くて立ちションもできんようになる」という言葉を残して授賞を辞退した福本豊は、今回の帰省時もサンテレビ阪神戦で勝手気ままな解説をしていた(全国ネットでは問題になりそうな際どい発言も交えて)。そして現役選手なので、という理由で一度授賞を辞退しているイチローは、来る数年後にどんな選択をするのか。そんなことを考えると、「古き良き」国民栄誉賞の授賞風景はこれで最後になるのか、もう本人たちのためにも最後にするのがいいんじゃないのかなぁ、などと思ったりもした。少なくとも、今回の両名については、長嶋茂雄を引っ張り出すのはこれが最後の機会であってほしいし、松井秀喜も、賞の重みを必要以上に感じることなく、のびのびと彼らしく今後の道を選択してほしい、それを受け入れる世の中であってほしいな、と願う。