500日。

港区役所に婚姻届を提出してから、いつの間にか節目の日が過ぎていた。

できる限り前向きに生きていきたいものだけれども、現実は日々浮かない顔をしていることのほうが多い。新しい仕事のことと将来への漠然とした不安を思い起こしては憂鬱な気分になったり、悲しい気持ちになることがある。人生の大半は思うようにいかないものだ。

でも、こういう思うようにいかない時を乗り越える為に、人と人が一緒にいる意味があるのかもしれない、結婚することの本質的な意味があるのかもしれない、と思うようになってきた。もっと具体的に言えば、幸せに楽しくやっていくために一緒になるのではなくて、苦労しても支えあって生きていくために一緒になるのだと思うようになってきた。例えどんなに絶望的な状況に立たされたとしても、唯一パートナーが味方してさえくれれば、壁を乗り越えるための力が湧いてくる。その力が欲しくて、人と人は一緒になって生きることを選ぶのだ、と思うようになってきた。

婚姻届という一枚の紙切れを作成して提出する制度はいつから生まれたのだろうか。家制度のなかで婚姻の登録を行う制度自体は江戸時代の頃からあったようだが、それまでは口約束を交わすことで婚姻を成立させていたそうだ。婚姻の届け出を行うことが正式に定められたのは民法が施行された明治31年(1898年)以降になるのだろう。

たかが一枚の紙切れである。しかしながら、人はその一枚の紙切れによって、苦しいときに気持ちを保ち続けることができる。その一枚の紙切れを交わすその瞬間の、二人の気持ちを封じ込めることで、その後心が揺れ動きそうになったときに、当時の気持ちを思い起こして心を鎮めることができる。現代の世の中に、もし婚姻届という存在がなかったとしたら、一緒に生きていくことを断念するカップルがどれくらい増えるだろうか(もちろん婚姻届だけでなく指輪という存在も大きいし、子どもという存在が生まれればそれは非常に大きなものとなるだろう)。実体のない感情というものを、目に見えるものに込めることで保存することで、人間は気持ちを強く持つことができるようになったのだろう。これは結婚や愛情のみならず宗教などにも当てはまることだと思う。

なぜこのようなことを書いたかというと、僕がまさに救われていることを実感しているからだ。お惚気でもなんでもなくて。結婚することの意味について、まだまだ毎日新しい発見があるのだ。