見てはならぬもの。

この間採りあげた「旅行人」で、以前一風変わった記事を書くライターがいた。記事はどれも途上国の貧困がにじむシーンを切り取ったルポタージュに仕上がっており、フィクションかと見まがうかのような生々しい描写が妙に印象に残った。旅行の雑記というよりもまさにルポタージュであった。石井光太氏という人物である。僕と歳が5つしか違わないのに、存在感のある文章を書くものだなぁと思っていた。

それから少し時間が経って、脳裏に残っていた彼の名前をいくつかの新刊で見るようになった。はじめは海外の貧困地域や、生と性にまつわる現場について書かれたものが多かったが、やがて日本国内を舞台にした本を出すようになっていた。そのなかでも有名になったのは昨年の『遺体――震災、津波の果てに』であろう。

遺体―震災、津波の果てに

遺体―震災、津波の果てに

東日本大震災直後の被災地に乗り込み、遺体安置所で繰り広げられる光景と弔いの現場を描ききったこの本はベストセラーになった。マスコミの報道では隠され続けた遺体の姿について、決してその悲惨さを強調するわけでもなく、極力その場の空気感を損なわないように丁寧に書き上げた作品である。

この作品に限らず彼の筆致は、とかくセンセーショナルに悲惨さを煽ったり、予定調和型の結論に持っていこうとしがちな報道スタイルの対極にある。彼の採りあげる取材対象はどれもこれも「怖いもの見たさ」の気持ちをくすぐられるようなものばかりで、ひと目悪趣味だと判断されがちであるが、実際のところの彼の取材スタイル自体は非常に淡々としているように感じる。震災の場面にしても、海外の貧困の現場の場面にしても、当事者がそこに至るまでの理不尽な境遇には全くと言っていいほど触れずに、ただ目の前の光景を記し続ける。当事者に寄り添うこともなく、偏見や先入観を持つこともなく、一定の距離感を保ちながら情況を捉え続ける。「見てはならぬ」とされがちなものに対しても距離感を変えることなく描き出す。

彼が描く世界は、今の大半の日本人のような恵まれた立場で生きていれば一生見ることもない、見なくても済むであろう世界である。恵まれた立場から見ればその世界はグロテスクな異世界に見えることだろう。ただ、そこが異世界で自分たちが生きている世界が普通なのか、本当にそうなのだろうか、という問いを彼が読み手に投げかけているように思えてくる。彼の文章は、自分たちと違う世界への想像力を高め、目の前の情況をわかりやすい言葉で単純化せずに受け止めるための橋渡しとなってくれる。