帰省、その1。

一週間の帰省を終えて関東に戻ってきた。お盆に夏休みを取るのも初めて、わざわざ夏休みで実家に帰省するのも初めてで、なかなか貴重な機会になった。相当の暑さを覚悟していたものの、雨がちで気持ちよく過ごすことができた。

地元の友人から大学の友人まで、親族から家族まで、いろんな人に会った。それとともに、今までなかなか行く機会のなかったいくつかの場所に行くことができた。もうお腹いっぱいである。

長期の休みといえばこれまでは一カ所に連泊して過ごす旅行が多かったので、今回の帰省もそのスタイルに似てはいるのだけど、やっぱり実家も大阪の街も文字通りホームの雰囲気があって過ごしやすかった。

ある日、鞍馬貴船上賀茂神社に行った。まだ朝早い時間の貴船は、人も少なく天然の冷気が残っている。静かなところなのだが、一方で幾度かの台風で川の両側の樹がなぎ倒されていて、激しい「動」も感じる。あらゆるものが苔むしていて、人間が主役を張っている街とは違って、ここでは自然が主役で、人間はその一部を間借りさせてもらっているかのようだ。謙虚な姿勢で自然にお邪魔して、なにかを取り戻す。

素敵な洋食屋さんで食事をして、けいぶん社に立ち寄って、昼過ぎに炎天のさなかたどり着いた上賀茂神社で特別展を見る。暑さで鈍くなっていた頭の動きをかき混ぜさせられる。今まで特に意識したこともなかったが、神社の本殿には、お寺のように仏像が入っているわけではない。姿かたちのない神様をわざわざ頭のなかで想起して、神様の降りてくる場所を用意する。場所だけではなく、しきたりを作って食事まで準備して、神様をお迎えする。

上賀茂神社も、伊勢神宮と同じように、式年遷宮を行うそうだ。寺のように、ひとつのものをそのまま手入れして使うのではなく、伝統を守りながらもどんどん手を加えていく。真っさらになった新しいお社に、また神様が降りてくる。僕はこれまで、式年遷宮とは、宮大工の技術伝承の機会確保のため(ある意味で公共事業に似ている)に行うのだと思っていたが、別の意味合いもあるのかもしれない。

自然に包まれて我を取り戻す人間と、神社のなかで神様を想起して祈ることで、我を取り戻す人間。お盆という時候に故郷に戻る人間。信じるも信じないも人それぞれ。ただし、昔の人々はみなこういったものをうまく生きるリズムとしていたのだなぁと思う。