日本人とヤンキー文化と祭り。

三連休は奥さまの実家へ。マグロで有名な三浦市である。地域の神社のお祭りがあるということなので、夕方から夜にかけてたっぷりと堪能してきた。僕の地元にも毎年夏にはお祭りがあるが、なかなかそこにあわせて帰省することもないので、露天が並ぶお祭りというのは久しぶりだ。

昼過ぎから獅子舞とお神輿が町中を練り歩く。夜になって、それぞれが列をなして神社に戻ってくる。神社の鳥居をくぐってしまえば、今年の祭礼は終わりになる。担ぎ手達はまだ神社に戻りたくない、町中にいたいと騒ぎ立てる。鳥居を前にして何度ももみあいになり、一定のリズムで打ち鳴らされる囃子のなかで、担ぎ手達も観ている者たちも疲れてきて軽いトランス状態になり、異様な雰囲気のなかで獅子舞が、次いで神輿が、ついに堰を切ったように鳥居になだれこむ。

この異様な雰囲気はなにかに似ているなと考えていたら、夜通し踊り続けるクラブに似ていることに気付いた。繰り返し音楽が流れ続け、高揚感に包まれて陽が昇るまで踊り続ける。その行為はもしかすると祭りを源流にしているのかもしれない。大阪のだんじり祭りでは、山車の上で男達による多彩な踊りが披露される。

また、獅子舞やお神輿の担ぎ手にはいわゆる「ヤンキー」っぽい風貌をした人たちが多い。「ヤンキー」は地元が大好きで、上下関係や礼儀にも厳しくて、一定の枠の中でやんちゃはするが、本当に道を外れたことはやらない。もちろん弱いものいじめなんてしない。そんな人たちが祭りを支えている。祭りだけではなくて、地域社会や地方の産業の少なくない部分を支えている。

そう言われてみれば、「ヤンキー」的な文化は祭りから多大なる影響を受けているようにも思えてくる。日本の祭りに使われる道具にはもともとカラフルなものが多い。お決まりのルートを車やバイクで乗り回すというのも、祭りの出しの曳き回しに端を発している気がする。似ているところを挙げていけばきりがない。

こう考えてみると、かなりの割合の日本人が「ヤンキー」的な思想を潜在的に持っているのではないかと思う。面白いことに、「ヤンキー」を毛嫌いしてしまうような人のなかにも、実は「ヤンキー」的精神が宿っている人は少なくないのではないか。「ヤンキー」は日本が世界に誇るべき文化のひとつ、という言い草はまんざらでもない。都市住民としてつるんとした日常を過ごしたり、世界を飛び回って生きるのもそれはそれで楽しいだろうが、「ヤンキー」的に生きることの楽しさも、もっと持ちあげられてもいいと思う。