いじめ事件と私的な制裁について。

いじめと自殺をめぐるトピックが話題になっている。これまでにもいじめによる自殺が話題にのぼることが何度かあったが、今回は特に中学校・教育委員会・市役所・警察がらみでの隠ぺいがなされた可能性が高いことと、テレビ局の不手際から加害者や加害者の家族の実名が大々的に晒され、インターネット上を中心に加害者への攻撃がなされていることの2点が、これまでのいじめ自殺事件とは大きく異なっている。

組織ぐるみでの隠ぺいについては特に言うことはない。面倒なことを避ける事なかれ主義や保身に原因があるのは明らかであり、既に警察の捜索もはじまっているので、徹底的に事実関係と組織の膿を明らかにすればよいと思う。

それよりも興味深いのは、加害者や加害者の家族の実名や経歴・勤務先等の情報がものすごい勢いで拡散していることだ。これまでにも、未成年による凶悪犯罪が起こったときにネット上の掲示板などで実名が暴かれることなどはあったが、今回は今までと比べ物にならないくらいのスピードで広がっている。なぜかデヴィ夫人がこの件について怒り狂っており、加害者の実名を自らのブログに書いたことも火をつける原因となったようだ。改めてネット社会の怖さを感じる。

当事者でない者が、加害者の個人情報を暴いて晒す理由はどのようなものだろうか。もしかすると自分自身のいじめられた経験が甦って頭に血がのぼったのかもしれないし、単にむしゃくしゃしていた腹いせだったのかもしれない。加害者に罰を加えることが正義だと信じ込んでしまっているのかもしれない。当事者でもないのに攻撃を加えた人物もまた、そのような行為を行ったことで、別の者から攻撃を受ける可能性をはらんでいる。(例えば、ネット上で加害者情報を晒した者のIPアドレスを取得して解析することもできるだろう)

当事者であれば、加害者に制裁をくらわしてもいいかと言えば、無論そんなことはあり得ない。法律に基づいて加害者は裁きを受ける、というのが法治国家の大原則であり、私的な制裁がまかり通ればそれは法治国家とは呼べない。しかしながら前提としての法律が、加害者に対して甘すぎるものであるからこそ、私的な制裁が発生するのだとも言える。子を殺された親が、刑期を終えて出所してきた加害者に対して制裁行動を起こしたとして、それを止めることができるか、というのは難しい問題だ。

今回の件でも、加害者叩きが行われたことが、本格的に警察が動き出す一因といえるのではないか。加害者叩き自体は褒められた行為ではないが、加害者を叩くことが全くできない世界よりは良いのではないか、と僕自身は考えている。