寝る子は育つ。

関西出張に行ってきた。実家はどうやら改装するようで、足場が組まれていた。とうとう自分の部屋もなくなるようだ。前々から帰省のたびに少しずつモノを片付けてはいたのだが、今回帰ってみるとさらに部屋がすっきりしていた。親が勝手に片付けていたようだ。コップに入れて置いてあったサハラ砂漠の砂も捨てられていた。なんだか今までの僕であれば怒っていたかもしれないが、なぜか特にそんな感情も湧いてこなかった。自分でも心のどこかで、もう捨ててもいいと思っていたのかもしれない。過去のものを捨てていくことに躊躇がなくなってきたと思う。過去のものは振り返ってみればそれなりに懐かしかったりもするが、後生大事にすればそれはそれで今の自分の重石になったりもする。自分の過去に潔く決別して新しいものに飛びつけるフットワークを持っている人がうらやましくなったりもする。これで実家に残された僕の荷物は写真を除くとダンボール5箱だけになった。延べ20年間がダンボール5箱になった。

★★★

月末に友人と乗鞍に行く。中学の修学旅行で5泊した旅館に泊まって、乗鞍マラソンに出る。そんなこともあって、修学旅行のしおりはあったかなと探していたところ、中学の文集を見つけた。各学年の終わりに書いたものと、修学旅行文集の合計4冊がある。文集自体手にするのは10年以上ぶりだが、しっかりした製本になっていることにびっくりした。案の定読み出すと止まらなくなる。中学生が書いた文章なので稚拙なものもあるのだけど、誰の書いた文章にもどきっとさせられる部分があって、大人になりきる一歩前の文章に宿る神秘みたいなものを感じる。そして改めて、当時の先生が愛情をもって生徒に接していることが今になって感じられる。愛情や真摯さというものは人が勝手に身に付けるものではなくて、周りの人の愛情や真摯さに触れることでしか備えられないのだと思う。そんなことも考えつつ夢中になって読んでいたら気づいたら2時間以上が経っていて、いちどきに頭にいろんなことが甦ってきて知恵熱みたいな感じになった。こういう時は昼寝するに限る。眠っているうちに、頭のなかに溜まっていたもろもろがほぐれ、消化されていく過程を感じる。目が覚めると頭の重さが取れていた。

毎日新しく頭に入ってくる情報と、昔から積み重なってきた記憶は性質が違うものだが、どちらも眠ることで整理されて、頭のなかに定着していくものだと思う。眠くなるということは、頭がいままでに溜まった情報を消化したがっているサインなので、そのまま我慢せずに寝てしまうのがいいと思う。