古くて新しい未来。

シェアハウスに住んだり、友人どうしで一戸建てを借りて住む人が身の回りでも増えてきている。不動産業者に聞くと、新たに建てられる共同住宅のうち、少なくないの割合をシェアハウスが占めつつあるようだ。

高度経済成長を経て、都市ではワンルームのアパートやマンションが増加した。所得水準が上昇して、誰もが望めば自由に1人暮らしを楽しめるようになった。1人暮らしをしなくとも、一戸建てを建てる際には、子ども部屋のように、個々人が独立した部屋を持つことができるようになった。地方部ですら、1人暮らし用のアパートを見かけることが珍しくなくなった。

今までに僕は、実家(自分の部屋のない時代→自分の部屋のある時代)、学生寮、2DKでの2人暮らし、会社の寮、ワンルームでの1人暮らし、2LDKでの夫婦生活を経験してきた。このうち、両隣が知人でもない純粋な1人暮らしは、武蔵小山ワンルームで過ごした4年弱だけだ。1人で住むのは自由で気楽だと僕も思うが、正直僕はそのメリットをしても、1人で暮らすということがあまり好きではなかった。

僕が生まれ育った町は、大阪大空襲の被害を免れたために、大正時代の長屋の町並みがいたるところに残っている。長屋の付き合いは、映画三丁目の夕日の世界に似ている。そこで育つ子どもの面倒を、住人みなだ目をかけているような世界だ。そんな雰囲気の世界で育ったからか、1人ひとりが明確なスペースを与えられ、隣の人がなにをしているかわからないような世界で過ごすことに、ストレスを感じるのだ。(寮生活となると特にその心配はない)

昭和の中頃まで、都市に住む人々はたいてい長屋のような生活を送っていたはずだ。最近のシェアハウスブームは、単に経済的要因というよりは、都市生活に長屋の付き合いのようなものを取り戻すための動きなのだと思う。わかりやすい長屋生活といえば江戸時代の時代劇を思い浮かべるが、もしかすると、江戸時代のライフスタイルは、最も人間が人間らしく生きていたそれなのかもしれない。そう考えれば、江戸時代の家族のありかた、働きかた、自治の仕組みなどが、現代社会にもたらすインプリケーションは多々あるのではなかろうか。

人間として、どう暮らし、どう人生を送るか、住の面から考えることもあると思う。