お誕生日おめでとう。

1995年の春、小学校を卒業した僕は、友達と一緒に、町はずれの食堂できつねうどんを啜っていた。食堂に備え付けられたテレビは、お昼のニュースで、その朝に起こった地下鉄サリン事件のことを報じていた。

校区にある公立中学校とは別の学校に進学することが決まっていた僕は、友達から一通の葉書をもらった。葉書には大きな字で、違う中学校に行っても頑張れよ、いじめられるなや、と書かれていた。じわっときた。

2005年の春、大阪に戻ってきた僕は、ときおり彼と会うようになった。僕が彼に声をかけるのはたいてい、僕が弱っている時だ。そういう意味ではまさに、僕は都合のいい時にだけ彼を利用するずるい奴だ。

逆に、彼自身が弱っている時期もあった。が、僕は彼に何もしていないと思う。むしろ、彼の弱っている姿がもどかしくて、たくさんキツいことを言ってしまったと思う。時間をかけて彼は、普通の人よりもはるかに悩みながら、今まで少しずつ歩んできた。そんな彼が周りの人や、動物や、植物へと向けるまなざしは、非常に優しい。今まで彼以上に優しい心を持つ人を、僕は知らない。

彼は本当にゆっくりと歩く。歩きながら、普通の人であればすぐに忘れ去ってしまうような言葉も、受け止めて自分自身のなかで消化する。(僕も含めた)周りの人の放つ毒気を吸い込んで、時間をかけて消化する。時には毒気にあてられすぎて弱ってしまうこともあるが、どれだけ時間がかかっても、人に頼ることなく、自分自身で毒を消化する。そして、毒を消化するほどに、彼の心はさらに優しさに溢れるようになる。

2010年の春、一緒に遊んでいる時に、もののはずみで、30歳の誕生日までに結婚してみせると彼は言った(言わされた?)。歩みの遅い彼にはなかなか難しい話だろうと僕は思っていたけれども、一方で、なにかの間違いが起こって本当にそうなればいいのにな、とも思っていた。そうなればなんて素敵なことだろうと思っていた。

きょうは彼の誕生日だ。1995年の僕たちからみれば随分遠いところまできてしまったけれども、彼の心の根っこは葉書をもらったあの日から何も変わっていない。依然として彼の歩みは人よりは遅いけれども、その分、彼は彼にしか見つけられないものをたくさん拾って歩いている。そして毎日、誰かの毒を引き受けて消化し続けている。この世界で、彼のように生きている人は他にいるだろうか。

お誕生日おめでとう。自分なりのペースで、これからも歩んでください。