新しい人。

朝の電車は異様に混んでいた。新聞や街角には新しく発足する会社や、新社会人を迎える主旨の広告が並び、新しい年度が始まったことを感じさせられる。出張で向かった山形と福島の街も、どことなくふわふわした空気に包まれている。遅いスタートを切った春の季節がどんどん追いかけてくるように感じる。

望みどおりの学校や会社や部署に入った人にも、そうでない人にも等しく春は訪れる。みんながみんな望みどおりの人生を歩めるわけではない。志望とは違う会社に入ることになったり、進路自体が決まっていなかったり、受験に失敗したり等々、周りの人と比べては自分にコンプレックスを胸に抱えた人が迎える、ざわついた春の空気は時に残酷ですらある。いっそのこと冬がずっと続いてくれればいいのになんて思うこともある。

これでよかったのだ、これが一番やりたかったことなんだ、と思い込まなければやってられないこともある。無理やり自分を正当化してしまえば心が楽になるけれども、僕はそれはやってはいけないと思う。現実は現実として受け入れなければならないけれども、自分の描いた理想(本当の目標)を見つめる努力をやめてはならないと思う。足下の現実から、どうすればそこにたどり着けるか、道を見失わないように意識し続けなければならないと思う。そうしないと、自分の人生は舵を失って流れるままに迷走し、その場限りの判断を重ねていくだけのものになるのではないか。

コンプレックスとうまく付き合って努力を重ねた人は強い。日本女性がさまざまな分野で活躍しているのは、逆境のなかで実力を蓄えてきた、というのが一番の理由だと思う。いまいる地位や環境に安住してしまうと、なかなか人は成長しにくくなる(まれにそれでも成長し続ける人がいるが、その人は安定した環境のなかでも自分の課題を設定し、さらなる高みを目指してその課題を克服するために努力できる、素晴らしい能力を持っている)。

正直、悔しい気持ちを抱いてきょうの日を迎える人もいると思う。新しいスタートの日を複雑な気持ちで迎えるのは気分のいいものではない。でも、きょう感じた悔しい気持ちを、忘れずにいつまでもとっておいて欲しいと思う。それがかけがえのない財産になるのだと僕は思う。新しい門出に際して、無邪気に喜び騒ぐ姿もいいけど、喜び騒ぐフリをしながら、胸のうちに不安と悔しさと意地を隠し持つ。そんな新しい人のスタートも、僕は大いに応援してあげたい。きょう感じた気持ちは、きっとその人の背中をぐいぐいと押し続ける力になるよ、と言ってあげたい。