占いとおみくじ

銀行の頃、六星占術をどこまでも信じて行動する経営者のおばさまと、お客様としてお付き合いしたことがあった。今年は、今月は○○の星回りだから動いてはいけない、などといつも引き合いに出すのだ。しかしながらそのような思考回路を持つおばさまだと判断基準がはっきりしていて、逆に星回りのいい時に乗じて取引をしてもらいやすかったりもするのだ。よくよく考えてみるとこれは一種のマインドコントロールだったのかもしれない(しかしながら営業とマインドコントロールなんて紙一重だし、もう時効なんで訴えないで笑)。オセロ中島さんに関する報道をみて、そんなことを思い出した。

僕にとって占いと言えばめざましテレビの「今日の占いカウントダウンハイパー」の印象が強い。中学高校の頃と社会人初期は必ず毎朝見ていた。しかもけっこう一喜一憂していたように思う。常々頭に浮かんでいる悩み事や苦手な人と結びつけて、あぁこの占いのメッセージはきょう○○な(悪いイベント)が起こることを暗示しているのだろうか、などとネガティブなことを思い浮かべてしまう。そうすることで本当にネガティブイベントが起こった時の心の準備をしていたとも言える。その後、僕の精神が図太くなったのか退化したのかはわからないが、今では占いの結果が全く気にならなくなった。興ざめになるが、近年僕はほとんど初詣のおみくじすら引いていない。

冒頭のおばさまのエピソードを思い出すにつれ、占いはヒトの行動をとどまらせたり後押しするための補助線でしかないと僕は思う。いわばブラシーボ効果と同じで、自分自身が信じ込むことによってそれに近い結果が得られるところに、占いの存在意義があるのではないかと考えている。そう考えてみると僕が占いやおみくじといったものを遠ざけているのは、占いやおみくじの結果によって、もともと自分で進みたいと考えていた方向性の出鼻を挫かれたり、方針変更を余儀なくされることを怖れているらしい、という結論にたどりつく。

なにを拠りどころにして生きていくかなんて自由だ。オセロ中島さんがなにを信じるのも自由だ。でも、自分を信じられるのであればそれに越したことはないんじゃないかとやっぱり僕は思う。例え自分を信じたことで結果が伴わなかったり、それが裏目に出てしまったとしても。