おカネについて思うところ。その1

昨日の日没後に降り始めた雪は、22時前にオフィスを出る頃には早くも道に積もり始めていた。元住吉の駅からの帰り道は、自転車のタイヤの跡が白い絨毯の上に黒い糸を引いていた。誰の足跡も、タイヤの跡もない道の上を走るのは気持ちのいいものだ。

今朝の冷え込みでその雪は固い氷となり、凸凹になった道を慎重に通って新横浜に向かった。東北・上越新幹線の車窓と見間違えるほどに、関東平野は白く包まれている。向こう側に見える丹沢山系も真っ白に塗られている。着いた先の京都でも、小さな霙が舞い続けていた。

★★★

月並みな話になるが、「おカネ」のことについて最近考えをめぐらすことが多い。非常に幅が広い話なので、ここでそのことについて書き出してもおそらくは収拾がつかなくなるだろうし、結論の出る話でもないのだが、思っていることを散発的に、何度かに分けて書いてみたい。

小学生の時の話だが、友だちの女の子から「○○ができたら100万円あげるわ」と言われたことがあって、その時の僕はむきになって○○(○○の内容がなんだったかは忘れた)をやり遂げて、その女の子に「○○できたから100万円くれや〜!」と言って泣かせてしまったことがある(その後担任の先生から「そんなん払えるわけないでしょ!」と怒られた)。まぁこれは笑い話のたぐいでしかないのだが、僕は平均的な日本人よりはおカネに執着心があると自分でも思う。けちだといわれることもある。

おカネが好きな僕は大学を卒業すると銀行に入った。金融・投資業界以外に身を投じたことがないので、半分想像の範疇でしかないのだが、金融関連の仕事をしている人はたいていおカネが好きだと思う(全員ではない)。おカネが好き≠守銭奴というわけではないし、人間的に素晴らしい人もたくさんいるのだが、ほぼ全ての意思決定は経済合理関に基づいて行われるし、より儲かる、カネを稼ぐことができることが良いという価値判断(ないしは欲望)に基づいて人は行動する。もちろんこれは否定されるべきことでもないし、資本主義とは元来そういうものだと思う。より高いボーナスを求めるために働く、より良い待遇を得るためにボーナスが着金したことを確認して新しい職場へと移っていく、そのような人の姿も見てきた。社会人になってから、銀行でも、今の会社でも、僕よりもさらにおカネが好きな人がたくさんいることを知った。(次回に続く)