怠惰の効用。

引越してから半年ぶりに、所用で武蔵小山に寄った。商店街の雰囲気は少し変わっていたけど、四年近く住んでいたのでわざわざ考えなくとも道の向こう側の風景が浮かんでくる。住んでいた部屋は空き部屋のままだった。僕があの部屋で「発声!滑舌!」のテプラシールを見つけて、前の住人は劇団員だったのだろうか、と妄想したように、次の住人も僕の痕跡をなにか発見する日が来るだろうか。

★★★

週末、いろいろと予定を立てていたのだけど、立て続けにキャンセルになったり、家の修繕があったりで外出できず、友人を呼んで土曜の夜から日曜にかけて飲み食べした以外には無為に時間が過ぎていった。昼寝も三時間ずつくらいした。寝ようと思っていたわけではないけれども、ベッドに吸い寄せられるようにして眠りについて、したくもないネットサーフィンをして、また眠った。なにか憑き物を落とすかのように。

計画したことが思い通りにいかず、イライラしてしまったり、空虚な気持ちになってしまうことがたまにある。日々の生活も、仕事も、慣れてくれば自分のペースやリズムが生まれてきて、それに目の前のものごとをうまく乗せていくことができるか否かが、自分のパフォーマンスを左右することもある。それが行き過ぎると自分のエゴを、無意識のうちに相手に当てはめてしまうこともある。自分のペースで取り組めなかったものごとに対して、納得がいかなかったり、無為に過ごしてしまった時間を無駄だと感じてしまう。

これは、自分の「こだわり」と言い換えこともできる。本当にそれがやりたかったのか、こだわる自分の心を満たすこと自体が目的となっているのか、いつの間にか見えなくなっている。

そしてそんなこだわりは、手放してしまえばそれほど大したものではなかったのだ、と気付くこともある。自分の計画通り、やりたかったことをやりきって、望みが叶っても、実際そこまで自分が満たされたわけではないことに気付く。そして、無駄な時間を過ごしてしまった、と思ってしまった時間に考えたり見たりしていたことが、案外新しいひらめきに引っかかったりする。

自分の怠惰をこうやって肯定するわけでもないけれど、無駄な時間は人生を豊かにすると思う。なにごともやり過ぎてはいけないのだろうけども。