誰かの為に生きるという。

僕はもともとわがままで自己中心的な人間であるからして、他人と共同生活を営むのは苦手である。何度言われても悪癖は直らないし、家事もなかなか自分から進んでできないし、いつも自分の好きなだけ眠っていたいと思っている。夫婦生活ももうすぐ半年になって、すっかり慣れてきたけれど、僕自身の性質はほとんど変わらず、相方様にはいつも多大なる迷惑をかけていると思う。

これで、共働きのまま子どもをもうけることになれば、さらに大変だろうなぁと今から想像してしまう。世の中で共働きでありながらうまく子どもを育てている夫婦に対して尊敬の念が湧く。少々収入が少なくなっても、育児休暇や時短勤務を選ぶべきだと、今の段階で考えている。自分自身のために費やす時間が激減するであろうことも想像に難くない。趣味がいろいろとあって、毎日しっかりと睡眠を摂らなければすぐに頭が重くなってくる僕にとっては、子どもを育てる日々の到来が楽しみな反面、どれだけ生活が変わるのか恐ろしくもある。

銀行時代にお世話になった上司は、平日はいつも3〜4時間の睡眠で、帰りの電車でも気付いたら横で眠りこけているような人だった。傍目にも顔色がいつも悪かった。それでも、子どもが所属している野球チームのコーチの話になると目が輝いていたし、子どものあやし方がすごく上手かったことを覚えている。日々の生活は身体を壊す一歩手前になるくらいに大変でも、「誰かの為に生きること」を体現していたし、辛くともそういった生活を送ることの喜びがにじみでていたように思う。

今の僕は「自分の為(の趣味や娯楽)に生きること」が楽しいし、夫婦生活をしていてもまだまだ、パートナーやいつか生まれてくるかもしれない子どもの為に生きることの喜びに対してイメージが湧いていない。「自分の為に生きること」に大きな楽しみを見出していて、その快楽を手放したくない、と思っているけれど、「誰かの為に生きること」にはまた違う楽しみがあるのだろうと思う。

もちろん、パートナーのために、子どものために生きることだけが「誰かの為に生きること」ではないとも思う。仕事で部下を育てることや、ボランティアをすることもそれらのひとつだと思う。人は誰しも、「自分の為に生きること」はしていると思うが、昔よりも一生独身で過ごす人も増えてきている今、「誰かの為に生きること」は誰もが経験することでもないし、そういう境地の喜びを知らぬまま一生を終える人もいるのだと思う。それはそれでいいとも思うが。