こころの筋肉。

雲が低く垂れ込める週はじめの一日。フレッシュひたちに乗って、水戸まで出張してきた。緑がみずみずしい季節だけれど、陽の光が差し込まないのでけぶって見える。街を歩くと、霧のような雨が身体にかかってくる。期せずして、ショートカットする道を選んだら、舗装されていない土の道で、落ち葉がほどよく積もっておりクッションの上を歩いているかのようだ。蜘蛛の巣が顔にかかってきた。そんなこんなしながら、目的の場所へと急いだ。

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最近以前にもまして出張が増えてきていて、そのせいかはわからないが車窓から流れる景色をみる時間が減ってしまった。資料を読んでいる時も多いし、スマートフォンをいじっている時間が長いことも理由だろう。しかし、そうして知識は増えたが、逆に頭のなかでなにかがひらめく感覚が消えてしまったように感じる。

そもそも、ひとつのことを掘り下げて考えることも最近少なくなったように思う。少し考えただけで安易に結論を出そうとしてしまう。そしてそのようにして出てきた結論はたいてい薄っぺらくて、張りぼてのように取り繕われたものになる。そんな結論に価値はない。今まで将来を決める分かれ道に立った時は、いつも考えて考えて考え尽くして、自分自身のなかから自然に正解が湧き出てくるまで考え抜いていた。時に考え抜くことなく安易に道を選んでしまい、後悔するときもあったけど、そこからちゃんと目を覚まして自分と向き合って考え続けていれば、たいていは軌道修正することができた。今はそれだけ考えるための筋肉が脳みそについているのか、不安だ。

知識とはあくまで他人から授けられたものでしかなくて、自分で苦労しながら体得したものとは言えない。知識が役に立つとすれば、それは量の質転化のような、知識を自分のなかに取り込む過程で自分が鍛えられることによるものだと思う。

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帰り道、電車は見なれた街を通っていく。じっくり向き合っていけばそれぞれの街で思い出すことはあるのだろうけど、そんなことに想いを馳せる間もなく、景色は過ぎ去っていき、手元の本や画面に目を落としているうちに、いつの間にか東京都に入っている。