金融機関の未来。

三日間の出張を終えて戻ってきた東京は、例年の六月らしい蒸し暑い空気に包まれていて、去年の猛暑を思い起こさせた。太ももの上部が暑いので真剣にももひきの購入を検討した方がよいかも。。

★★★

三日間営業をしていて、金融機関の未来の姿について考えさせられることが多かった。肌で感じたのは、メガバンクの国内戦略が破綻しつつあるのではないかということ。極地的には良い事象もあるのかもしれないが、ことさら地方部に関しては、貸金、為替手数料、デリバティブどれをとっても稼げる状況ではなくなってきているし、個人資産運用についても、顧客離れにつながるような動きしか出せていない。ここもとは預金利息の低下もあって収益が改善しているように見えるし、まだまだ人件費をはじめとして経費率を圧縮していく余地はあるのだろうが、長期低落傾向は否めないという印象を受けた(長期低落といってもあと十年〜二十年は持つだろうから今なかで働いている人にとっては大した問題ではないのかもしれぬ)。メガバンクが急いで海外戦略を進めているのはそのような背景があるのだろう。拡大戦略ではなく生き残りをかけた戦略なのだ。


では、地方銀行や信用金庫をはじめとする地方金融機関はどうかというと、これももちろん楽観視できる状況ではないのだが、これまでも真摯の地域社会に向き合ってきたからこその長所が生かされようとしている萌芽を感じる。日本の地方社会は超高齢化というこれまで世界が体験したことのないゾーンに突入しつつあり、一部ではその逆境を乗り越えるためのノウハウが着実に蓄積しつつある。地方金融機関は金銭だけでなくこのノウハウの蓄積と媒介ができる存在となるべきである。モノを小売りするわけではないので、兼業は充分可能であろう。

地方金融機関のひとつに「信用金庫」という業態があるが、これは営利目的の私企業ではなく、利益よりも地域社会がよりよい方向へ発展することを第一の目的として存在している金融機関である。「信用」というネーミングに込められた意味は今になって深く見えてくる。(ついでに言えば信用「金」庫と「銀」行という対比は興味深い)

地域社会のノウハウの集積については、今後放っておいても誰かがやり出すだろう。そこには今後世界が直面する問題に対する叡智が詰まっているのだから。地方金融機関がその役割を担えるのか、というところが、彼ら自身の未来にわたっての存在理由を左右するといっても過言ではないと感じた。