貧富と性風俗産業。

震災後はなりをひそめているのかもしれないが、以前新宿で、風俗街に乗りつける観光バスと、そこからぞろぞろと下りてくる中国人のツアー客とおぼしき集団を見かけた。あーなるほどと思ってしまった。これはバブル以降日本人がフィリピンやタイやカンボジアで行ってきたことと同じである。

エッチなことが大好きな僕ではあるが、正直言ってこういう「女を買う」行為には、少し違和感を感じる。別にいい子ちゃんぶってるわけではないし、性風俗産業が悪いと言っているわけではない。水商売はその人自身の個性を生かした立派な仕事だと思うし、実際僕もタイで友達に制止されるくらいはしゃいだこともあるし、キャバクラ(自腹ではまず行かないが)も楽しいし、風俗の恩恵をありがたく受けたこともある(さすがに今はもうしないことを言い添えておく笑)。風俗があるからこそ救われている男もいるだろうし、当然楽しくて風俗の仕事をしている人もいるだろう。

ただ、風俗に行く際の「女を買いにいく」という表現に言い知れないほどの傲慢さを感じるのである。そしてその傲慢さに言っている本人は気付かない。その傲慢さは言われる側に立ってみて初めて感じることができる。中国人に「日本に女を買いに行く」と言われ(別に中国人に恨みがあるわけではありません)、その中国人相手に男が「総経理!」なんて客引きする時代も来るかもしれない。日本人のプライドはそれに耐えられるのだろうか、なんて想像してみたりする。大きく年代によってリアクションは分かれるのだろうけど。こう考えると、やはりバブル期を中心とした前後20年くらいの日本が異常だったのだと思う。そして今なお、一部の人がその幻影を引きずって生きているのもある意味では致し方のないことなのだと思う。そして今中国がその異常な時代の追体験をしているのであろう。

きょう書き出して思ったが、この話は非常に根深い問題を含んでいて、とても一日では書ききれないように思える。近年テレビのバラエティー番組などでも水商売で働く人たちが一般的に採りあげられるようになってきて、水商売がますますひとつの立派な職業として捉えられるようになってきていると思う。セクシュアル・マイノリティの扱われ方といい、性の観点ではけっこうテレビ局はいい仕事をしているんじゃないか、なんて思ったりもする。