震災。

11日に発生しました東日本大震災で被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。

当日その瞬間は溜池山王のオフィス内にて揺れを感じました。窓から見える隣のビルが不自然なほどに揺れていました。しばらくして業務は打ち切り、解散ということになり、みなオフィスを出て歩いて帰っていきました。遠い人はおそらく7〜8時間の道程となったと思われますが。。僕は当日会社に自転車で来ておりいつでも帰ることができること、家に帰ってもひとりであること、余震のことを考えるとオフィスにいたほうが安全だと思われることから、ある程度状況がつかめるまではオフィスにいることを判断しました。夕方5時の段階で、10数人の男性社員はほとんど帰り、家が遠方の男性社員1人と女性社員1人と、実家が大船渡にある女性社員1人が残っていました。

女性社員を残して帰ることはできないので、最悪の場合はオフィスで一夜を過ごすことも想定して、夕食の買出しにいきました。コンビニの棚には菓子類を除いて食品はほぼ売り切れ間近でした。こういう状況でも買い物客はパニックにならず淡々とレジに並び、店員も必死に客を捌いている姿には感動を覚えました。

そのうちに、まず東京メトロ都営地下鉄の一部が運転再開となり、残っていた男性社員も帰っていき、女性社員2人と僕だけになりました。JRは本日中は動かないことが確定。オフィスもしくはどこかで泊まらなければなりません。僕の家までは歩けば2時間(よくよく考えてみれば途中まではメトロが開通しているので1時間くらいで済むはずだったので冷静な判断ができていなかった)かかるので、やむなく1番近い先輩の家に受け入れてもらうことに決め、オフィスを施錠し、四谷まで40分ほど歩いて女性社員2人を受け入れてもらいました。24時前のこと。そこから自転車で新宿→渋谷→恵比寿→武蔵小山と1時間ほどかけて帰ってきました。

都心の道路は渋滞で全く動かない状態で、タクシーも都営バス(夕方ごろから運転再開していた)も渋滞にはまっていました。東京タワーは先が曲がり、途中からオレンジ色の電飾が消えていました。なんとも非現実的な光景でした。赤坂や新宿の飲み屋は普通に営業している店が多かったのですが、一方でファストフードチェーンはほとんど臨時閉店していました。コンビニについては空の棚こそ多かったものの、閉店している店は見かけませんでした。店員もおそらく昼からシフトを抜けることなくずっと働いていたのでしょう。本当に頭が下がるばかりです。徹夜で運行し続けた公共交通機関の方、警察官の方、コンビニ店員の方、そしてわめきちらすことなく我慢強く行動している方の姿を見て、僕はこの国のことを今までで一番誇らしく思いました。

駅から離れた生鮮コンビニは商品もふんだんにあり、一日分の食料を調達して25時ごろに帰宅しました。


それから24時間以上が経過した現在まで、いろいろと思うこと、考えたことはありますが、もう少しまとまってから書くことにします。今はただできる限り節電に努めるのみです。あと僕にできることといえば義援金と、普段どおりの経済活動を行うことでしょうか。特に仕事では、今回大きな被害が出た福島から岩手の太平洋岸には僕の担当顧客の方が多くおられます。再生を果たして僕の担当から卒業していった会社も、まさにこの春に最後の仕上げを果たすべく準備と交渉を進めていた会社もありました。民事再生手続きによる再生弁済をかなり進めていた会社の所在地は、まさに津波に覆われ瓦礫の下となったことが、ニュースから確認できました。再生のために売却しようとしていた土地、建物も瓦礫の下になりました。こういった時にこれからどういう行動をとるべきか、未曾有の状況であり想像もつきませんが、僕は自分の仕事を通じて、自分の担当顧客に対して、できることがあるのではないかと今は強く考えています。

きょうは時間があるので、また更新する予定です。