たんぽぽ。

きょうは寒の戻りだったけれども、着実に春は近づいてきているように思える。眼と鼻が花粉をキャッチしはじめている。春は新しい生命がうごめき始める季節である。花粉もまた、新しい生命の源であって、そんな生命の源がどんどん空気中を飛び回る季節は、やはりむずむずするものである。眼と鼻以外も。まさに蠢く春というべきか。

春といえば、そんな花粉を飛ばすべく、たくさんの花が咲く季節でもある。代表的なものは桜だが、地平を見るとたんぽぽが咲いている。

たんぽぽは、桜のように愛でられることは多くない。知らぬ間に踏み潰されていることも多い。冬の頃から葉を地面すれすれに広げ、寒風にも耐えている。そして桜が散ったあとに、控えめに花を咲かせる。

僕はけっこう出しゃばりで、おいしい場面でさっと登場して果実をもぎとっていくような人生を歩みたいとついつい思ってしまう。もっと言えば、楽して生きたいと思っている。ゆえに、ものごとを慎重に考えずに進めてしまって、収拾がつかなくなってしまうこともよくある。

しかしながら実際に、自分でも結果が出ているな、力がついてるなと思う時は、ややもすれば日の当たらない立ち位置で地道な努力を積み重ねている時なのである。自分でもその傾向があることをわかっていながらも、楽して生きたいと思う方向に傾いてしまう。楽な選択肢を選んでしまいがちになる。

たんぽぽのわたげは、自分が根を生やし花を咲かせる場所を選ばない。ただ、行き先を風に任せ、降り立った場所で、精一杯の花を咲かせる。

自分は、降り立った世界で精一杯の花を咲かせようとしているか。手持ちの能力を最大限に活用して花を咲かせようとしているか。たんぽぽに教えられている。三月がやってくる。