たんぽぽ。

冬の朝の空気はことに澄み切っているね。
どれだけ人間が空気を汚しても、いつの間にか空気は澄み切っている。そうなると、澱んだ成分はどこに行ってしまうのかな。


この間久しぶりにIQのテストをしてみた。といっても、Web上で簡便にできるものだから精度はあまり高くないものと思われる。スコアとしては、小学生・中学生の頃とあまり変わらなかった。IQの測定方法が15歳以下と以上では変わるそうなので、昔のデータと関連性があるとは言いづらいが、年数が経ったからといってそんなに大きく変わるものでもないのだろう。あと学力とIQは混同しやすいが別物らしい。さらに言えばIQとお金を稼ぐ能力はそれほど相関性がない。。


IQと直接関係あることなのかどうかはわからないが、小学生の頃そろばん塾に行っていた。元来手先があまり器用でないので、実際に珠をはじくそろばんはあまり上達しなかった。代わりに暗算は得意で、けっこういいレベルまでいった。大人になっても一番直接的にも間接的にも役に立っているスキルだと思う。

そんなわけで暗算が好きになりすぎて、小学校高学年の頃は暇があれば頭の中で暗算ばかりしている我ながら変な子どもだった。素数の掛け算が好きで、素数に一定の整数を掛けて、9が並ぶ数を見つける(一番身近な例で言うと、37(素数)×27=999になる。)遊びをよく脳内でしていた。その頃はだいたい暇なときは数字遊びか、好きな女の子の妄想をしていた。今でも昔の癖でたまにそんなこともする。

そんなに数字遊びは好きだったのに、中学以降の数学はあまり好きになれなかった。数字遊びとは違う世界の学問だったからだ。結局その後も数学はあまりやらなかった。高校3年生くらいになってようやく、数学って楽しいなって思えるようになったが、そこから掘り下げるほどのやる気は起こらず、そのままおサラバになってしまった。

じゃあ暗算、もとい数字遊びはなぜ大人になっても一番直接的にも間接的にも役に立っているスキルだと思うのか。直接的というのは日常生活でのこまごまとした計算(割り勘)であるが、間接的というのはどういうことか。

暗算をするときには、頭の中ではそろばんが浮かんでいる。そろばんの珠の並びが、瞬時に数字の並びに脳内で変換される。脳内にそろばんを思い浮かべることや、脳内で浮かべたそろばん(図形)を数字に変換するプロセスが、全然関係ないロジックを考えるときや、昔のことを思い出すときに役に立ったりする。なにがどうなるかわからないから面白い。