主のいなくなった邸宅と、木嶋佳苗のこと。

売却を進めている物件の内見に立ち会った。普段は不動産仲介業者さんに完全にお願いしてしまうのだが、思うところがあって自分自身も見に行った。東京山手線内の閑静な住宅地である。もちろん普通のサラリーマンが一戸建てを買えるエリアではない。昼下がりの陽光に、僕はうっすらと汗をかいた。近くに東京タワーが見える。

所有者から依頼されて管理をしている業者さんに鍵を開けてもらう。地下1階地上2階の大きな邸宅。玄関に入ると大理石の使われたエントランスが広がり、階段の手すりに至るまで、かなり良い素材が使われている。それぞれの部屋には、いくばくかの荷物が残されている。クリーニング屋のビニール袋がかぶせられたままの洋服や、CDやら本やらが散らばっている。地下に下りると、トレーニング器具が置かれていたであろうスタジオと、うちのリビングほどもあろうかというバスルームと独立したシャワールームがある。シャンプーやコンディショナーがそのまま置かれている。スタジオにはロデオボーイだけがぽつんとあった。

2階はLDKである。壁面いっぱいに暖炉がある。中身がいっぱいの米袋には魚沼コシヒカリと書いてある。キッチンには京都の有名なデニッシュがそのままにある。まだ腐っていない。リビングには女性の写真集が何冊か無造作に置かれている。その上の階は屋上で、水遊びができるであろう設備と、変色したパラソル、白いリゾートチェアがあった。屋上に上がる階段に、有名ホテルのランドリーバッグが落ちていた。屋上には引き続き強い日差しが差していて、クラクラした。

帰り道、なぜか木嶋佳苗被告の事件のことを思い出した。正確に言うと、殺されてしまった男性たちのことを思い出した。彼らは客観的には被害者である。しかし、生前の彼らはカネ(経済的支援)を媒介に木嶋佳苗と遊んだ。結局は木嶋佳苗にいいように操られていたのだが、彼らは不幸ではなかったはずだ。しかしながら最後には殺されてしまったり、財産を失ってしまった。

所有者は、結局この邸宅に1年しか住まなかったという。この邸宅で過ごしたつかの間の時間が、男たちが木嶋佳苗と過ごした時間にダブって見えた。それは楽しくて幸せな時間だったことだろう。

何か間違っている、なんて言うつもりはない。