昨日は正午すぎに悲劇的なニュースが飛び込む。なんというか、仕事もあまり手につかない。こんな気持ちになったのは、5年前に小林麻央さんが亡くなって以来かもしれないな、と思いながら、行き場のない思いを抱えて出張先からの帰路につく。
こういう時は外部からの情報を遮断するのもひとつなのだろうけども、ついつい気になって見てしまう自分もいる。はたして、右も左も、さまざまな人が、自分の思想信条と絡めて都合のよいように解釈をしている。怒りだとか、憐れみだとか、そういう気持ちも湧かなくて、ただただこの人が、あの人がこんなことを言っていたんだ、ということを忘れないようにしておこう、という感情だけが残る。これは、11年前の3.11に起因する原発事故のときに抱いたものと似ている。
やがて、訃報が知らされる。この事件がこれからの日本をどう変えていくか、などということまではまだ想像も及ばない。とにかくいまは事実を受け止めるだけである。あえて想像をしなくとも、あるべきゴールに向かって、動き出していくのではなかろうか。