自由と。
自分をコントロールするもの全てから、自由になりたい、という衝動にかられることがある。
自由になる、ということは自分のする行動に責任を負う、ということと表裏一体だ。結果が伴わなければ、自分で受け止めるしかない。誰かの功績にフリーライドすることはできない。休みたいなと思っても、休みを取ることは自分の歩みを止めることに即直結する(もちろん、やむを得ない時はしょうがないが、、)。
そんなリスク、怖さはあれども、自由になることにたまらなく憧れを感じることがある。それは他ならぬ自分のために人生を生きることになるからだ。身近な誰かのために生きる人生にはもちろん意味があるだろう。ただ、その主体が曖昧模糊になり、自分は一体誰のために毎日生きているのか、と問い始めると、自由への渇望がふつふつと湧いてくる。
なにもかも自由でなくとも、せめて、尊敬でき信用できる誰かのために自分の時間を費したい。そして、自分の付き合う人は、自分で選べる環境でありたい。報酬もさることながら、自分自身の納得感をいちばん大切にしたい。