ウイズ。

ふと、コロナウイルスのことを長い間ブログでも言及していないことに気づく。1月や2月の頃はそれこそ毎日のように書いていたのに、慣れてしまったということなのだろうか。


相変わらずマスクは欠かさずつけているし(それでも、気心知れた人と2人きりだったり、マンション内のゴミ捨てくらいならマスクを外すことも増えてきた)、生活様式も新しいものに変わってはいるのだけど、それが自然に定着してきたことと、ウイルス自体に怖れを抱くことがほとんどなくなってきた。


誤解を恐れずに言えば、コロナウイルスがなんのためにこの世界に出てきたのか、肌感覚で捉えられるようになってきたと思う。だから、必要以上に怖れることもない(畏れることはあるかもしれない)し、戦ったり排除することもない。うまく共存して生きていくことを考えている。


コロナ明け、なんてものもない。ずっと付き合っていくものだと思う。「コロナ禍」という言葉をこれまで自分も何度か使ってしまったが、それもこれからはやめておこうと思う。コロナ自体でなく、むしろコロナに踊らされ恐怖が煽られたことが「禍」なのだ。


さて、この秋からどうなるだろうか。本当の胸付き八丁のはずである。