思い出を拾いに。

子どもの頃、たまの日曜日に親に連れられて遊ぶ淀川河川敷は、未知の世界だった。淀川にかかる鉄橋を走る多種多様な電車に見とれて、電車がもっと好きになったし、水際に打ち上げられたしじみを嬉しそうに採ったりもした。グラウンドで野球のまねごとをしたこともよく覚えている。


実家に滞在するあいだ、時間があったのでふと自転車で淀川まで走った。河川敷は工事をしているようで立ち入れない。いまの子どもは河川敷に降りて遊ぶこともできないのかあ、と寂しくなる。川に架かる橋から、下を覗いてみると、水面がキラキラと輝いて、潮の匂いが漂ってくる。


この街がいつまで帰ってくる場所であり続けるのかはわからない。いつか両親も(引越したりというのもある)いなくなれば、帰る理由がなくなってしまうだろう。それでもたぶん、数年に一度くらいは、なにもなくとも思い出を拾いにここにくることになるのかもしれない。子どもの頃の思い出こそが、中高年になってなお、進んでいく支えになっていくことに気づく。