もともと信心深いほうではあるのだけれども、ここ2-3年くらいで神社や寺院を訪れるのが好きになった。出張先でも時間があれば、寺社で時間を潰すことが増えてきた。
一昨日は名古屋にて、初めて熱田神宮を訪れた。真夏を思わせる日差しが照りつけるなかで、神社の敷地内は爽やかな風が吹いていて、本殿に向かって手を合わせると自然と心が無になった。
大きなディールを控えたときなどは神頼みのようなこともするが、そうでなければ手を合わせても特になにかを祈ることもない。気持ちを落ち着かせて、自分の中から自然に感情が湧き上がってくるのを待つ。
結論は天の上から降ってくるものではなくて、いつも自分の中から存在を表してくるものだ。日ごろ曇った目でものごとを見てしまいがちになっているところから、寺社という場所の力を借りて解放する。
いくぶんスッキリとした心で、神社をあとにする。余裕がなくて狭量な行動をしてしまいそうになる時に、このひと余裕が活きてくることを願う。