運命の意味。

ニュースでDeNAの謝罪会見が行われていた。会見には夫を癌で亡くしたばかりの南場さんが出ていた。謝罪会見の内容は、キュレーションサイトでデマの医療情報を流したことによるものだ。その中には癌の治療法に関するものも当然含まれていた。彼女が仕事を休み夫の治療に専念していた時期に立ち上げられたプロジェクトだ。

因果応報という言葉があるけれど、今回もその言葉はあてはまるのだろうか。なんの因果で彼女はこの責め苦を受けなければならないのか。きっとこれは彼女が神様から与えられた試練、残りの人生において取り組むべき命題なのだと思わなければやっていられない。

それでも、ものごとが起こることには必ず理由があるのだ。最近になってそのことをとても強く感じる。降りてきた僥倖も、降りかかってきた苦難も、全てには意味がある。それらに一喜一憂するのではなく、どんな意味を与えられているのか読み取ることに注意深くあるべきだと思う。その姿勢を保つことで、次の運命が与えられるのだと僕は思っている、いや、信じている。