線引き。

相模原の事件のことを思い出しては、たびたび考えてしまう。彼が衆院議長に宛てた手紙を読んで、また考えこんでしまった。

容疑者である彼は(少なくとも彼の価値観のなかでは)、重度障がい者は殺すべき存在であり、殺すことで家族を含む周りの者は救われる、と本気で信じ込んでいたフシがある。この考えこそが、今回の事件のキーポイントではなかろうか。

むろん、障がい者は殺されるべき存在ではないことは明白だ。ただ、考えるに、家のなかに迷い込んできた蚊は殺されるべき存在なのだろうか、養豚場で飼われる豚は殺されるべき存在なのだろうか、環境破壊を続ける人間は殺されるべき存在なのだろうか、認知症が深く進行した人間は殺されるべき存在なのだろうか、それらの線引きはどこにあるべきなのだろうか。失礼を承知で言えば、容疑者である彼のその線引きが、人よりもちょっとズレていた、それが今回の事件の原因だったのだろう、と僕は思う。

そしてすぐに僕らもまた同じ問題にぶつかる。大罪を犯した彼は殺されるべき存在なのだろうか、と。