花見酒、祭りのあと。

過疎の村に赴任した医師が疲弊してその村を離れる話や、不摂生を重ねてきた患者に対して高額な医療費(もとは税金)が投入されること、高齢者が集会所代わりに毎日接骨院に通い詰めることなどについて批判が上がり始めている。

やはり、この国の社会保障は切羽詰まってきているのだと思う。そしてその最後の引き金を引くのは国債金利上昇だ。金利が急上昇し、国家予算のうち利払い費が相当を占めるようになれば、もはや社会保障に対する予算が組めなくなる。

花見酒はどこに行ったのだろうか。おおよそ、目ざとい一部の奴らの懐に入ったくらいだ。着実に不況の足音は近づいている。そして僕らは祭りのあとを迎える。

この国にある人的資源は限られている。他の資源も言わずもがな、限られている。資源が限られていることを認識せず、いたずらにそれを費消させてしまうことには、もっと批判の目が向けられることになるのだろう。それが、これからの時代を覆う空気になるのだと思う。