シーシャ。
普段あまり足を伸ばすことのない地方へ。朝方は雪が降っていたが、正午に近づくにつれてこの季節には珍しく太陽が顔を出す。乗り込んだ特急はわずか2両、そこそこ混んでいる自由席に腰を下ろして、人里離れただだっ広い風景を眺める。この地方を代表する大きな山が、幅広い山頂部からその先天につながっているかのようにそびえ立つ。頂にも陽光が差し込む。
特急に揺られて着いた街で仕事を終えて、古ぼけたビルにある喫茶店に入る。席について周りを見渡すと、隅に置かれたシーシャが目に入る。シーシャを見かけたのは数年ぶりか。
昔モロッコで初めて吸ったシーシャ。日本に帰ってからもちょくちょく梅田や下北沢などで吸っていた。シーシャを置いている店のマスターはみな、海外を放浪したことのある人で、日本に戻ってきてからの日々に少なからず違和感を抱きながら、自分の好きなことに忠実に生きている人ばかりだった。その頃は僕もまた少なからず違和感を抱いて生きていた、もしくは違和感を抱いているフリをしていたと言うべきか。本当のところは自分でもよくわからない。
そんな違和感は、あらかた溶けてしまった。違和感を抱いている暇がない、違和感を突き詰めずに取り込んでしまった、違和感よりも大事な目の前のことがある。いろいろ言えるだろう。いまシーシャは、そんな忘れてしまった感覚を思い出す道具になった。