対比。

なんだかいま世間を騒がせているもろもろのことについて、個人的に胸のすくような真理を見つけた。「サイレントマジョリティーは、アクションを起こしていないからといってそのイシューに無関心ということではない」ということだ。

一番ホットなのは政治の話題だ。解散総選挙が行われようとしているいま、いろんな人が声を挙げようとしている。言うなれば彼らは「ノイジーマイノリティー」である。ノイジーと言う言葉は多少不適切かもしれないが。ノイジーマイノリティーは、サイレントマジョリティーのことを一段下の目線で見てしまいがちである。アクションを起こしている、起こしていない、という点においてはノイジーマイノリティーは一歩先んじているからだ。

しかし、サイレントマジョリティーはアクションを起こしていないからと言って、なにも考えていないわけではない。表現することはなくとも、少なくない人が、政治に関してもなんらかの筋を自分のなかに持っている。あえてそれを表現していないだけなのだ。そしてノイジーマイノリティーはえてしてその事実が頭から抜け落ちている。だからこそ、ノイジーマイノリティーの主張はサイレントマジョリティーに響かず、むしろ疎まれることも多いのだ。

これ以上は言うまい。ただ、これまでのところ、ノイジーマイノリティーはやっぱり失敗し、自爆しているように見える。彼らがそのことに自分で気づかない限りは、政治もなかなか変わらないのだと思う。