因果。
都内、たまに仕事で通る場所でよく聞こえていた徴用工訴訟のシュプレヒコールを見なくなった。朝日新聞が従軍慰安婦に関する誤報を認める記事を発した。真偽のほどはわからないし、これらのことに対しては特段なんの感情も湧かないけれど、もしこれまでのシュプレヒコールや誤報記事がなんらかの悪意に基づくものであるならば、彼らは相応の報いを受けるのだということははっきりとしている、と思う。もちろん嘘偽りが全くないのであれば、そんなことにはならないのだが。
神様は本当にいるんではないか、全ての人間の行動は神のような存在からしっかりと見られているんではないか、と思わざるを得ないほどに、世の中は因果応報に満ち溢れている。そのことをこれまで1番強く思ったのは東日本大震災の時だった。あの時は誰もが自分を試されていたし、人としての底が容易にさらけ出されたり、あるいは人がこの世に生まれてきた意味を見出すまたとない機会だったのだと思う。震災から3年経って、ようやくその総括の時も近づいているように思う。
自分がやったことは全て自分にはね返ってくる、と皆が身にしみて思えるようになるならば、たいていの論争や問題は解決するように思うのだがどうだろうか。