小さな世界、大きな世界。

わが家の前には、築年の古い平屋の貸家が並んでいる。引越してきて3年、契約手続きをした時に不動産業者から「すぐにこの平屋も取り壊されて同じようなアパートが建てられますよ」と説明があったのだが、いっこうにその気配はなく、住人さんたちが淡々と生活を営んでいる。はす向かいのおばちゃんはふとんを天日干しするのがたいそう好きな、気のいい人だ。

向かいのアパートには、3歳くらいの小さな女の子とその両親、さらにその母親が住んでいた。平屋の裏に僕の背の高さほどのビニール小屋があり、そこが一家の自転車置き場になっていた。毎朝そこから自転車を出して、わが家のベランダの前を通り、保育園に通う姿を見た。夜になると、お風呂場で女の子が唄を歌う声がよく聞こえてきた。

向かいのアパートの一家が引っ越していったのは2ヶ月ほど前だ。辺りは前よりも静かになった。女の子と母親が毎日行き来していたわが家のベランダの前の砂利混じりの草地は、足を踏み入れる者がいなくなり、もともと生えていた雑草がその勢いをさらに増したように見える。せっかくなので、ホームセンターで買ってきた栽培用の土を敷いて、ハーブとマリーゴールドの種を一面に蒔いた。自然が勢いを取り戻すのならば、せめて虫除けになるようなものを植えようと考えたのだ。このところの気候の良さもあって、すぐに芽を出しはじめた。暑くなる頃にはどんな風になっているだろうか。ちょっとしたガーデニングのようになってきた。擬似庭付き一戸建の気分だ。

秋になれば、家の周りで鈴虫の鳴き声が聞こえる。このまま庭がにぎやかになれば、今年は今までと違う声も聞こえてくるだろうか。今時珍しい暴走族(死語か?)の集団走行音もたまに聞こえてくるのはご愛嬌だけれども、普段は虫の声以外にはなにも聞こえてこない。

今住んでいる地域は当初の想像以上に自然が豊かだ。少し歩けばみかん園や畑が広がっている。地形に起伏があって、少し登れば、東京方面とはいかないまでも、近くの街のビル群がよく見える。冬の澄んだ空や夕暮れが美しい。

わが家のガーデニングはいつまで続くだろうか。いつの日か、目の前の平屋建ても取り壊されて、新しいアパートの建設工事が始まるのだろう。そうなれば、草花が生い茂る庭も掘り起こされる。

いつまでここに住み続けるだろうか。いつかはわが家も手狭になる日が来るかもしれない。その時は、マンションよりは庭が付いているような家に住みたいなと、やっぱり思う。