パ・リーグ、ゼロ年代初頭。

ついこの間イーグルスが感動的な日本一を達成したかと思ったら、もう週末にはプロ野球の新たな一年が始まるのである。今年もめいっぱい野球を楽しみたい。

ここ数年のパ・リーグには普段野球を観ない人でも親しめるプレーヤーがいた。ダルビッシュとマーくんこと田中将大である。マーくんさえもがついに海を渡ることになったが、今年また新しいヒーローが生まれてくることを期待している。

★★★

しかしながらイチローというスターが抜けたゼロ年代初頭のパ・リーグは、独特のカオスに包まれていた。ひいきのマリーンズだけではない。ややもすれば暗黒臭が漂う玄人好みのパ・リーグ劇場に、僕は引きずり込まれていた。

イチローが7年連続首位打者という偉業を手土産に米国に旅立ったその年、優勝したのは今はなき大阪近鉄バファローズである。この年のバファローズはとにかく打ちまくった。チーム防御率は5点台に限りなく近くリーグ最下位。10点取られれば11点取り返す、極端に打高投低の野球をやりきって優勝したのだ。象徴的なのは9月26日の優勝が決まったゲーム。9回表を終えてオリックスブルーウェーブに2-5と3点のビハインドを背負っていたのが、あれよあれよと言う間に3人が出塁しノーアウト満塁のチャンスをつくると、代打で登場した北川博敏が逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランを放ったのだ。その日僕は車でマリンスタジアム(当時)に野球を見に行った帰り、このゲームをラジオで聴きながら運転していたのだが、アナウンサーが絶叫し過ぎてなにを言っているのかわからなかったことをよく覚えている。Youtubeで当時の動画を見ることもできるが、何度見てもその度に鳥肌が立つ。

このように豪快な野球で勝ち切ったイメージのある2001年の近鉄野球ではあるが、実際のところは堅い守備と中継ぎ投手の起用法の巧さでものにしたゲームも多く、近鉄野球の真骨頂が詰まった1年だったと言える。

逆の意味で記録と記憶に残ったのは2003年のオリックスだった。イチローの穴を埋めきれなかったオリックスは、2002年全く打線が機能せず最下位転落。巻き返しを図るために外国人選手や他球団からパワーヒッターを獲得し、攻撃重視のオーダーを組んだが、今度は投手陣が崩壊。年間のチーム防御率5.95という歴代ワースト記録を叩き出し、特にダイエーホークス(当時)には20点以上取られての敗戦を4試合くらっている。なお、守備にも破綻をきたしていたため、実際の失点はさらに多く、1試合平均で7点近く失点していた。当然のことながら最下位である。とにかくこの年のオリックスは、投手が悲愴感を漂わせながら投げるも、いとも簡単に打球が外野の間を抜けて転がっていたイメージしかない。オリックスは翌2004年も最下位に沈み、球界再編へと繋がっていくのである。

いまや実力のみならず人気でもセ・リーグに並ぶ勢いのパ・リーグにも、ほんの10年ほど前にはこんな時代があったことを時には思い出しながら、今年の野球も見届けていきたい。